満足して生きるために、自分を満足させない選択をする

何事にもちょうど良い塩梅、がある。オレにとってそれはいつだって、「ちょっと物足りないな」くらいのところだ。結局後になるとそれが1番良かったりする。大満足、よりも、もうちょっと欲しかったな、くらいがいい。

例えば、人と過ごす時間。もう少し一緒にいたかったなくらいのところで、じゃあまたねバイバイ。飲み会でも、もう少し飲みたいなくらいのところで、お開き。旅行もあと1日いたかったなくらいのところで帰る。食事ももうちょい食べられるけどな、くらいでごちそうさま。そういうこと。

物足りなさは、次もう一回、もう一度につながる。これは、自分が行動を起こす立派な原動力になる。もう満足です、なんなら飽きてしまいました、では、次はやってこない。また新しくやりたいことを探したり、見つけなくてはいけない。それが苦もなくできるほど好奇心でいつも溢れていればいいが、オレはそうじゃない。

逆説的だが、自分の人生に満足して生きるために、いつも満足できずに物足りない部分を残しておくこと。その部分を追いかけることが、自分を楽しませる。人生を豊かにする。あなたともう少し一緒にいたかった。だから、もう一度会いに行こう。そして再会ができたら楽しいじゃないの。

再会できたら、名残惜しいくらいのところでまたバイバイをする。もう少し一緒にいたいくらいのところで。飽きるほど一緒にいてもう顔も見たくないよ。では、一つ大切な機会を失ってしまうに等しいんじゃないか。

いつだって満足していたい、充実していたい、ならば、いつだって満足できない部分、充たされない部分を残しておく。そしてそれを追いかける。それが、満足であり充実である。供給過多になってしまうと何事も価値を失う。自分にとっての価値。

なかなか会えないから恋しい人がいる。なかなか食べられないからおいしい食事がある。それとは別に、いつでも会えるけど恋しさを失わないために、あえて会う時間をもう少し欲しいところで保ってみる。いつでも食べられるけど、飽きさせないために特別な日だけ食べる食事にする。など、ちょっと物足りないなくらいの塩梅で、人や物事との距離をはかる。

自分の人生に飽きてしまっている。不満しかない。これは、逆に言えば、満足しきってしまっている、何もかも手に入りすぎてしまっている、のかもしれない。もちろんそればかりとは限らないが。とにかく、オレは自分の人生に満足して生きていきたい、そのために満足できない部分を残しておく。そのバランスが取れているか?、目を逸らさないようにする。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ