自分の人生の点数は?その点数ってどうなの?って話

例えば、自分の人生を100点満点で言うと何点くらい?と問われたとしてどうだろう。

100点です!と言えるひとは少ないだろうね。50点、80点、いや、自分は30点かな、みたいにほとんどの人がパーフェクトではないはず。オレにしたってそう。

例えば50点だったとしよう。毎日足りない50点のことばかり考えて過ごすのか、今ある50点を見るのか。同じ50点でも、日々を生きる気持ちは変わる。

オレは、どちらにもほどよく目を向けるのがいいと思っている。足りない50点ばかりに目がいくと、いつまで経っても満たされることがない。幸せになれない。一方今ある50点だけを見ることは、現状に満足しきってしまい自分の成長を妨げる。

オレは、自分が豊かに生きることに対して、アンテナをいつも張っている。豊かに生きるためには、今ある50点、足りない50点、それぞれをバランスよく見ることが大切だと、オレの場合はそう思ってる。どちらかの視点に極端に走りすぎるのではなく、どちらも見つつバランスとしては中間を見ているようなイメージ。何事も答えは真ん中にある。

世間を見渡すと、足りない点数ばかりに目を向ける人が多いように感じる。私には、あれがないこれがないと、いつも言っている。

それは、お金やモノなど、姿形あるものだったり、運や才能など無形のものだったりするわけだが、彼らはそれが「無い」「無い」とばかり言っている。足りないポイントばかりに目を向けることがバネになって、自分の成長や幸せへの架け橋となるならそれも素晴らしい。

しかし、シンプルに不満をぶちまけたり、溜飲を下げるためにやってるだけならそれはもう少し、視点を変えてみてはどうだろうか、と思う。人生の不満は、他者ではなく紛れもない自分自身が作る場合がほとんど。

足りない点数ばかりに目を向けることをやめて、今ある点数にたまには目を止めてみる。おや?意外とオレこんなにたくさん持ってたんだ、と、気がつくことが重要だ。

よく「自分には何もない」みたいに言う人がいる。いや、健康な体があるじゃんとか、世界を見渡せる目があるじゃんとか、髪の毛あるじゃんとか、探せば何かしら持ってる。ていうか、探すまでもなく何かしら持ってる。

持っているものには慣れる。慣れてしまうと持っていることを忘れてしまう。忘れてしまうと持っていないことになってしまう。

持っているのに、持っていないことになってしまう。50点あるはずなのに、マイナスの50点しか目に見えていない。このモノの見方の癖のせいで、自分を不幸にしてしまっているひと、これまでにもたくさん見てきたし、以前のオレ自身がそうだった。

健康にとって、バランスの良い食事が大切なことくらい誰でも知ってるように、モノの見方にもやはりバランスが大切である。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ