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彼女は山下公園に行きたいと言った

「山下公園に行ってきても良いかしら?」

ある土曜日の朝、彼女が唐突に聞いてきた。

山下公園。
横浜みなとみらいにある、横浜港を臨む公園だ。
氷川丸やバラ園などの観光スポットもあり、休日には家族連れやカップルで大いに賑わう。

自宅から1時間程度。
特段用事もないので、私も一緒に行こうかと提案した。
すると彼女は、申し訳なさそうな顔をして「ごめんなさい。一人で行きたいの。」と答えた。

思いがけずデートの誘いを断られた形になるが、人間誰しも一人になりたい時はある。いいよ、行っておいで、と彼女を送り出した。


夕方、心なしかすっきりした表情で帰ってきた彼女は、こう話した。

「私にとって山下公園は、文脈から解放された場所なの。」

曰く、私たちは普段、仕事、家庭、趣味など様々な文脈の中で生きている。
そして、それぞれの文脈の中でその文脈にあった自分を表現し、切り替えながら生きている。
そやって複数の文脈の中で生きることは、かなりのエネルギーを要する。
だから時折私たちは、疲れ果てて、自暴自棄になることがある。

一方で、複数の文脈で生きることは、自分を守ることでもある。
ある文脈で上手くいかなかったとしても、別の文脈で上手くいけば踏ん張ることもできる。
だから、私たちは文脈に生き、文脈に生かされているとも言える。

山下公園は彼女にとって「文脈から解放された場所」なのだそうだ。
彼女の抱えるどの文脈にも属さない独立した場所。
日々彼女を縛り、彼女を生かす文脈から独立し、ただそこに有ることができる場所、山下公園はそんな場所だそうだ。

精神に疲れた時は、昼間の山下公園でベンチに座って海を眺めながらビールを飲む。
自分を縛る文脈から何者でもない自分を解き放ち、ただありのままに世界を感じる。
心が穏やかになり、頭が緩む。
嫌なことがあっても前向きになれる。

「いくら文脈に生かされているとは言っても、その文脈自体が嫌になることもあるわ。そんな時は、一度文脈から離れてみるのよ。そうすれば、少しの間だけでも、楽になることができるのよ。」

生きている限り、誰も文脈から完全に逃れることはできない。
だからこそ、時には文脈から解放される時間が必要なのだろう。
そこで自分とエネルギーを取り戻し、また文脈の中に戻っていく。
私達はそうやって、毎日絶妙なバランスを取りながら、生きているのかもしれない。

彼女の言葉に耳を傾けながら、とりあえず彼女が元気になったなら良かったと思った。
彼女が抱える文脈と、自分が抱える文脈。
私と彼女の関係もまた、一つの文脈なのだろう。

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