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【SS】 習慣 #シロクマ文芸部

 珈琲とチョコレート、たまらない組み合わせだ。朝陽を浴びながら窓際で飲む珈琲にはビターチョコが良く合う。ある男のこだわりだった。今日もカーテンを開け、明るい朝陽を確認すると、設定温度を九十度にして電気ケトルのスイッチを入れた。注ぎ口がしなやかなカーブを描いているドリップケトルだ。お湯を沸かしている間に、フィルターを出して、一人分の量の珈琲を入れ、ドリップの準備をする。お湯が沸いたら、サーバーにお湯を注ぎ、しばらく温めた後、入れたお湯をカップに移す。そして、ドリップを開始する。ゆっくりと焦らずお湯を一本の糸のように注ぎ入れながら、珈琲の香りが部屋中に充満するのを楽しむ。やがて一杯分の珈琲が出来上がる。冷蔵庫からチョコを二切れ取り出して、珈琲のソーサーの上に載せる。珈琲はブラックで楽しむのでスプーンはいらない。珈琲をサーバーからカップに移し、左手でソーサーを抱えながら窓際に歩み寄る。

 窓際まで歩く間にも、珈琲のいい香りが男の後についてくる。男は眩しそうに朝陽を見上げながら、湯気が立ち上るカップから珈琲を一口啜る。「今日も上手く出来た」という満足そうな顔をして、カップを朝陽にかざしながら鑑賞する。男は珈琲カップが堪らなく好きなのだ。一日たりとも同じカップで珈琲を飲むことはない。毎日取り替えるのだ。珈琲の苦味を味わった後、チョコを口の中に放り込む。冷蔵庫で固くなったチョコは男の温かい口の中で、固体から液体へと変化していく。男は満足そうな顔をして「うまい」と呟く。

 これがこの男の毎朝のルーティンである。飲み終えた珈琲カップは、まるで展示されているカップから拝借したように傷ひとつない新品だ。しかも、輝きも美しい。男はキッチンで丁寧に飲み終えたカップを手で洗い、水気を拭き取って箱に戻す。そして、使い勝手と改善すべき箇所をメモにしてカップの中に入れる。もう二度と使うことはない。明日の朝はまた別の箱から取り出した珈琲カップを使って淹れたての珈琲を飲むのだろう。男の部屋の片隅には、同じような珈琲カップが入っていると思われる箱が綺麗に整理して並べられている。箱の外側には日付と窯元を記入したポストイットが貼られている。男のコレクションなのだろうか。

 この男の正体は、なんと泥棒だった。それも白磁や青磁の珈琲カップ専門の泥棒だったのだ。長崎、佐賀の窯元を中心に定期的に出没し『怪盗ジギー』と呼ばれていた。ところが、どの窯元からも被害届は出ないのである。それどころか「次は来てくれるかなぁ」などという声が上がるほど、怪盗ジギーが盗みに来ることを待っているのである。これには地元の警察も困惑気味になっていた。少なくとも、窃盗の味方をすること自体が警察としては納得できないのである。誰でも知っている怪盗ジギー、実は変な盗癖を持っていたのだ。

 怪盗ジギーは、珈琲カップを盗むのだが、実は自分で使った後、感想とともに盗んだ窯元に返却していたのだ。ということは、実害がないということである。それどころか、ユーザーの立場で改善点を指摘して返却してくれるので、大量に生産し市場に出す前に修正することが可能となり、窯元としては助かっているというのが現状だった。そうならば、正式に仕事として実施すればいいようなものではあるが、怪盗ジギーとしては、自分が気に入ったものしか盗まないのである。そうなると窯元としては、盗んでもらえなかった珈琲カップは評価を下げるしかない。最悪は売り物にはならなくなるかもしれないのである。

 怪盗ジギーの暗躍は誰しもが知るところとなり、珈琲カップの売れ行きを左右するまでの存在になっていた。さらに、怪盗ジギーのファンクラブまで発足する始末。当然被害届が出ないので相変わらず警察は動けていない。そんな状況を感じていた怪盗ジギーは声明を出してきた。

『親愛なる窯元の皆様 これまで多くの珈琲カップをお借りしてその使い心地を珈琲と共に味わっていましたが、あまりにも皆様に与える影響が大きくなってしまったので、そろそろ終わりにしようと思います。私の真の目的は、私が毎日でも使いたくなる珈琲カップを見つけることでした。そしてそのカップがやっと見つかったのです。この珈琲カップはお返ししません。七つのカップをいただいたまま、私の仕事は終了とさせていただきます。 怪盗ジギー』

 全ての窯元に緊張が走った。戻ってきていない珈琲カップの調査が始まったのだ。

「うっ、うちのカップは全部戻ってきている」

「あぁ、私のところも同じだ」

 窯元間で連絡のメールが飛び交い始めた。しかし、ほとんどの窯元は全ての珈琲カップが戻ってきていた。窯元たちは、一体どこの窯元だったんだろうと気になって仕方がないようだった。そして、最後にとある窯元が名乗りをあげた。この窯元は世代交代してデザインも一新し、まだ市場には認められていないような窯元だった。だが、怪盗ジギーが最後に残した七つの珈琲カップは全てこの窯元のカップだったのだ。そのことが知れ渡ると、この窯元に注文が殺到し、長崎県、佐賀県で一躍トップの窯元へと躍進してしまった。当然なことではあるが、七つの珈琲カップも生産され、飛ぶように売れまくったのである。

 時は過ぎ、七つの珈琲カップの話は伝説と化していた。そんな時、唯一怪盗ジギーの顔を見たことのある人物が、七つの珈琲カップを作っていた窯元を訪れた時、怪盗ジギーによく似ている職人を見つけてしまった。


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