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【SS】暖かい冬

中学生時代に遡る。
当時の体育授業では、走り高跳びが取り入れられていた。
しかし、今のように分厚いマットがバーの向こう側に敷いてあるわけではない。
なんの変哲もない砂場だった。今思い出しただけでもちょっと怖い。

そして、単なる砂場なので、背面飛びは禁止だった。英語ではフォスベリー・フロップと呼ぶらしい。1968年のメキシコ・オリンピックで最初に背面飛びを使ったのがフォスベリーという人だったようだ。

最も、私が中学生の頃にやっと世の中で「背面飛び」という言葉が出てきたように思う。1970年だ。子供心に、背中からは怖くて飛べないよなと思っていた。

その頃の飛び方の主流は、正面飛びとベリーロールだった。
正面飛びは、バーに向かって走っていき、踏み切った足と逆の足を正面に高くあげそのままバーを超えていく方法、そう、ハードルをジャンプして越えるような感じの飛び方だ。想像するだけでも高く飛べそうにない。一方、ベリーロールは、やや斜めからジャンプするのだが、足からではなく、バーを抱き抱えるような感じで上半身を巻き込んでいく。ロールケーキみたいに。これだと胸の位置以上の高さのバーでも飛べそうな感じがする。

走り高跳びの体育の授業が始まった。
初めは先生の号令で、正面飛びをさせられる。バーは腰高程度。ほとんどの生徒はクリアするが、バーがそれ以上高くなるとほとんど飛べなくなる。
身長が高い生徒を除いて。

先生が次の指令を出す。

「もっと高く飛びたい人はベリーロールで挑戦しましょう。ただし、挑戦は3回までだからね」

よし、挑戦だと思い、初めてのベリーロールを低いバーで練習する。
ちゃんと飛べば体が回転するから柔道の受身みたいな感じで砂浜に落ちる。
うん、これなら行けそうと思い挑戦。

「1回目行きまーす」

気合とともにバーに向かって左から回り込む。左足で地面を蹴ると同時に右手でバーを抱くようにし、右足を上げてバーを巻き込むようにジャンプする。頭は走ってきた方向を向く。

あ、左足がバーに当たった。まずい、そう思った瞬間、右手が真っ直ぐに体を庇うように砂場に向かった。痛っ。でもなんとか体は回転して立ち上がった。右手が少しズキズキする。

「2回目行きまーす」

再挑戦だ。だけど右手がちょっと痛いのが気になる。1回目と同様に左側からバーに向かってリズム良く走っていく。右足、左足、ジャンプ。しかし、今度は右足がバーに当たってしまった。1回目と同じく反射的に右手が砂場に伸びていた。

グキッ、鈍い音がした。
立ち上がると手首から5cm上くらいのところが階段みたいになっていた。
折れている。不思議と痛みを感じない。
腕には、2本の骨があるらしい。そのうち太い方の骨が綺麗に折れていたのだ。結果筋肉によって引っ張られ、折れた骨がずれ階段みたいな腕になってしまったようである。

「せ、先生、腕が折れましたー」
「何!、あっ触るなよ。シャツの下の方をめくってそこに腕を入れて左手で支えておけ。病院を確認するから」

完全に折れていたため、そのまま整骨院に運ばれることなった。地元では有名な整骨院らしい。車に乗せられて30分くらい走った所にある。割と遠い。

整骨院に到着すると待ち構えていたように、先生と助手が出迎えてくれた。

「あー、綺麗に骨折してるね。レントゲンで確認したらすぐくっつけよう」

レントゲンを撮ると、綺麗にポッキリ通れているのが確認できた。よくあるのは斜めに裂けるように折れることらしい。おかげで手術することなく元に戻せるらしい。

「はい、じゃあこっちにきて腕出して」

いきなり、助手に肩を押さえられ腕を固定させられた。治療台に片足をかけて踏ん張っている。ちょっと怖くなってきた。そう思うと痛みまで感じ始めた。

「ちょっと我慢してね。すぐ終わるから。セーの」

グチグチというような、イヤーな音とともに、階段みたいになっていた腕が筋肉で縮められていた状態から強制的に伸ばされ真っ直ぐになった瞬間だった。
とてつものない痛みが頭のてっぺんまで駆け上がってきた。しかし、声を出すのはみっともないので、唇を噛み締めて我慢した。代わりに大粒の涙が溢れた。

「じゃあ、添え木で固定するからね。少し腫れると思うけど、腫れが引いたらギプスにして固定するから頑張ろう。大丈夫、元通りになるよ」

数日後に腫れてないことを確認し、ギプスとなった。要するに石膏で腕をガチガチに固めるわけである。肘は問題なく使える状態だが、手首が固定されてしまった。しばらくすると、痒くなったが掻くことが出来ない。細い針金を手首の方から突っ込んで孫の手のようにして掻くしか無かった。

クラスに戻るとクラスメイトが順に声をかけてきた。

「大丈夫?」
「不便そうだなぁ」
「それで叩かれると痛そうだな」
「当分、体育できないね」
「それじゃあノートとれないでしょ、代わりに書いてあげるよ」

最後に、予想していなかった、嬉しい言葉。
みんな興味本位で話しかけてくるけど、助けてあげるという言葉は嬉しかった。
隣に座っていた女の子が、代わりにノートをとってくれるようになった。ラッキー
骨折も悪いことばかりじゃないなぁ。

ほぼ、1ヶ月が過ぎた。
いよいよギプスを外す日だ。結構緊張する。
ドラム缶の蓋を取ってしまったような形の少し小さめの円筒形の入れ物みたいなところで、処理をするようだ。

「はい、ここにギプスを乗せてください。電動ノコギリで切って外しますから」
「電動ノコギリ? 先生、切りすぎるってことないんですか」
「まぁ、勘でやるから失敗したら切っちゃうかもね。ワハハ」
「いや、切っちゃうかもって。。。怖いですよ」
「大丈夫、大丈夫、小さい電動ノコギリだから」

チュイーンという音とともに、ギプスに電動ノコギリが当てられ、手首の方から切られていった。ハラハラしていたが、とりあえず、電動ノコギリの出番は終わったようだ。切れ目の入ったギプスを先生は両手でこじ開ける。バリバリと音を立ててギプスが口を開けた。その下から、ひとまわり細くなった僕の右腕が顔を出した。
細くなっている上に、汚れている。仕方ない1ヶ月間洗えなかったわけだから。

「よし、問題なくとれた。良かったな、腕切れなくて。ワハハ」
「この後は、リハビリをしていくよ」

こんな時のブラックジョークは笑えない。
ギプスは取れたが、手首が固定されていたため、右手首が動かない。ここを少しずつ動くようにしていくらしい。

「では、先生の膝の上に右手を置いて。曲がらないでしょ手首」
「それっ」同時に、先生は僕の腕を掴んで膝の方に向かってグイッと力を込めた。
「痛ッテー」またしても涙が出そうだった。
こんなリハビリをしばらく続けていると手首も少しずつ動くようになった。

ギプスを取って学校に行くとまたみんなが面白がって集まってきた。

「あ、戻ったんだな。つまんなーい」
「良かったね。これで体育できるね」
「腕、使えるようになったね。良かったね。じゃあもうノート取るの終わるね」

ガーン。これからは自分でノート取らないといけないかー。って、当たり前だな。
ちょっとだけ、寂しさが込み上げてきた。

ぼちぼち、秋の風が吹き始める頃になった。
ノートを取ってくれていた女の子に話しかけた。

「ねぇ、もうすぐ冬なんだけどさ。マフラー編んでくれない?」
「いいよ」

骨折するのも悪くないね。
骨も丈夫になるし、あの子とも距離が縮まった。
冬が待ち遠しいなぁ。

ひと月たって、マフラーをもらった。
「ちょっと長めに編んだよ。手袋もね」
「ありがとう。大事にするね」
「うん」

白い大きめの毛糸で筒編みに作られた長いマフラーには、首に巻いた時にちょうど見えるように青い毛糸で大きく僕のイニシャルが編み込まれていた。

僕にとって暖かい冬になった。



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