【SS】 夏を待つ君 #シロクマ文芸部
初夏を聴く君が僕の隣にいる。心地いい朝の風が開けた窓から入り込み頬を撫でる。風で擦れる葉っぱの音、小鳥の囀りが開けた窓から聞こえてくる。音もさることながら、漂ってくるどこかの家の朝食の香りも感じ、すでに太陽はのぼり、暖かい日差しが部屋の中を温め始めた。
君と暮らし始めてもう三年が経った。今では部屋の中の家具の配置にも慣れ、君は我が物顔で動き回っている。ここにやって来た時には暗く沈んだ顔での生活で心配していたけれども、ようやく君は運命を受け入れて微笑みを取り戻してくれたんだね。
「おはよう。今日もいい天気だね、咲希」
「おはよう、篤志。とっても気持ちがいい朝だわ。ムクドリがたくさん鳴き始めたわね。あれは間違いなく求愛ね。夏も近くなって来たわ。風も気持ちがいいし。暑い夏が待ち遠しいなぁ。早くもっと暑くならないかなぁ」
「咲希は本当に夏が好きだよね。しかも鳥の声でわかってしまうなんて」
「だって、夏は気持ちがいい汗もかけるし、ビールも美味しいし、かき氷も美味しいし、鰻も食べたくなっちゃうわ」
「ははは、変なの。普通食べることが好きな人は秋が好きなのにね。咲希は夏バテもしないし食欲も落ちないもんな」
「うん、だって、夏は太陽が眩しいからサングラスかけてても全然変に見られないじゃない。だから外出したくなっちゃうんだもん。もちろん、篤志と一緒にだけどね」
「ああ、そうだね。今年の夏もたくさん出かけよう。さぁ、簡単だけど朝食にしようか。今日は土曜日で仕事も休みだからのんびりしよう」
「うん、そうだね。でもちょっとだけ後で散歩に連れて行ってくれる? 爽やかな風を全身で感じたいから」
「OK、いいよ」
篤志と咲希は三年前に結婚した。その直後二人が乗っていた電車が踏切での放置車と衝突してしまい、脱線事故につながった。衝撃で放り出された咲希は、吊り革を固定していたパイプで両目を激しく擦ってしまい、その結果、咲希は光を失ってしまった。結婚してわずか一ヶ月後のことだった。一旦光を失った咲希の両目は眼球を義眼に変えることくらいしかできず、生涯、光と無縁の生活を送らなければならない運命になってしまったのである。
咲希の心の動揺は計り知れなかった。篤志に迷惑をかけるし自分は一生お荷物になると思うと、生きていること自体が悪いことのように思い、死にたいという気持ちばかりが襲ってくる毎日だった。義眼になっても涙は止まることなく流れ出る。そんなことさえも咲希は恨めしく思っていたのだ。
それでも、懸命に咲希の目になろうと努力してくれる篤志がいつもそばにいてくれた。次第にそんな日々に慣れ、いつしか目が見えなくても幸せになれるみたいと感じ始めてくれたのである。長い時間がかかってしまったけれど、篤志と咲希にとってみれば、新婚の時の幸せな時間を今も感じていられると思えるようになっていた。
これからも咲希の目が見えるようになることはないが、咲希はもう迷うことをやめた。今の自分を受け入れて楽しもうと思うようになっていたのである。そんな咲希は季節を肌と耳で感じるようになり、季節の変わり目を楽しめるようになっていた。咲希は初夏の音を聴いていたのである。
了
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