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【SS】 寝待月 #シロクマ文芸部

 今朝の月は満月の夜を過ぎ四日目だから寝待月になっているはずだ。少しずつ月も欠けていき下弦の月に向かう。まるで私の心を写しているかのように。寝待月は次第に月の出が遅くなることから、月を見るために寝て待つという意味でつけられた言葉らしい。けれども私にはもう待ってくれる人はいない。昨日、彼から別れを告げられたのだから。

「なぁ、ルイ。俺たちもう別れないか。お前から告られ、付き合い始めてから一年経ったけどさ。知り合った時ほどドキドキしなくなったんだよな、俺。女も男も周りには沢山いるんだから、俺たちそろそろ潮時だと思うんだ。と言うことで、明日からは他人ということでよろしく。あっ、ここの勘定は最後だから俺が払っておくから気にしなくていいよ。ポイントも貯まってるし。じゃ、先に出るわ。これまで付き合ってくれてありがとう」そう言ってヒロキは店を出た。
「そんな、たったそれだけ」私は小さな声で呟いただけ。彼を引き止める効果は一パーセントもない。あっさりし過ぎていて涙すら出なかった。

 勝手な言葉を残してヒロキは行きつけのカフェを出ていった。一人残された私はなんとなく惨めな気持ちで落ち込んだ。周りの客から「可哀想な女」みたいに思われてるんじゃないかと一人で思い込んでしまったから。他人のことなんて誰も気にしないとはわかっていても、周りのテーブルの人の視線が私を見ているようで怖くて立ち上がることもできなかった。店内のざわめきすら、私のことを話のネタにしてるんじゃないかとも思ってしまい、視線を上げることもできなくなっていた。私は異常なくらい周りを気にする性格だということは自覚していたから。それから一時間くらい一人のテーブルで何もせず座っていたような気がする。周りの客がほぼ入れ替わり、私と彼の別れの場面を見ていた客がいなくなったはずだと思って立ち上がり店を出た。店を出た途端に今度は街行く人の囁きまで気になってしまった。私には「ほら、あの女。カフェで一方的に別れを告げられた可哀想な女よ」と指を刺されながら揶揄されているように感じたのだ。
「アイツのせいだ。私がこんなに惨めな気持ちになるのは全てアイツのせいだ。ヒロキが百パーセント悪いんだ」私の心の中で小さな悪魔が生まれた瞬間だった。

 私は可愛い女性になり切っていると思っていた。ヒロキの前ではいつも笑うことを忘れないようにしていたし、逆らうこともしなかった。言われたことを言われた通りにして、ヒロキの機嫌を損ねないように気をつけていた。部屋もヒロキが気にいるように家具も変えてカーテンも変えた。それなのに簡単に「別れ」を切り出すなんてあり得ない。だんだんとそんな思いが大きくなり、店を出てもその気持ちは消えないどころか、胸が張り裂けそうなくらいに大きくなってしまった。でもどうすることもできないと思っていた。もう一度ヒロキを見てしまうまでは。

 それは突然訪れた。店を出た後しばらくしたらゲリラ豪雨に見舞われ、必死になって駅まで走った。傘を持っていなかったので全身ずぶ濡れになって手持ちのハンカチをバッグから取り出して濡れた髪の毛を拭いていた時、私の視線はヒロキの姿を捉えた。しかも女の肩を抱いて体を寄せ合い、嬉しそうに微笑んでいる。あんな笑顔を私には見せたことは無かった。横にいる女は絶対私より可愛くないと思えた。絶対にだ。さっきまで私と一緒にいたのにと思うと、無性に怒りが込み上げてきて抑えられない感情に支配されていた。

 ゲリラ豪雨もおさまり、水たまりに写った自分に気がついた時、私の両手には手錠がかけられていた。私の髪は乱れているし化粧も落ちている。自分がいる場所もよくわからない。私の周りでは制服の警官たちがざわついている。一体私が何をしたというのだろうか。全く記憶にない。もしかしたら何かの間違いか人違いなのではないだろうかと記憶を手繰ってみたが、駅でヒロキを見かけた後の記憶がない。手錠をかけられている状況から解放されるためには、何か言い訳をしないといけないと私の心は叫んでいた。

「私は何もしていません。何も知らないんです。本当です。私は何も悪くありません」

  必死に声を出した時、一人の警官が近づいてきた。とても落ち着いている私好みの顔をした警官だった。そして静かに子供を説得するような低い声で私に説明してくれた。

「もう一人の自分が表に出てしまったのでしょうね。川面瑠衣さん。全部防犯カメラに写っていました。ただ、通報を受けて駅前の交番から我々が到着する前に貴方の凶行は終わってしまっていたことが残念です。貴方は自分のバッグから小さなナイフを取り出して、山浦博樹さんと海原蓮香さんを駅から追いかけ、後ろから数回執拗に刺して殺害したのです。残念ながら現行犯です。しかも私の目の前での犯行でした」

 私にはその警官が何を言っているのか理解できなかった。それ以上に私好みのこの警官ならヒロキを忘れさせてくれる存在になってくれるのではと私は直感した。

「もし宜しかったら私とお付き合いしていただけませんか。今夜は寝待月だからデートには最適な夜だと思うの。ふふ」


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先週のSS


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