一家の顛末 5

湿っぽい6月を耐えきって、7月に入った頃。
この地域は毎年7月半ばから8月上旬まで、梅雨前線の最後の抵抗とばかりに大量の雨が降る。

ニュースで見る降水量の表示は濃い紫すら超えて真っ黒になり、ひっきりなしにけたたましい警報がスマホから鳴り響く。
窓から眺める市街地は雨に霞んで視界から消えてしまう。

そんな時期が迫りくるのを感じながら雨の日は擁壁が崩れる悪夢を見て、晴れの日は窓から見える山の向こう側にある隣町の土地家屋方面を苦り切った気持ちで眺めながら過ごしていた。


実家のある地域は山をまるごと切り開いたかのような所で、どこにいても、何を見ても擁壁が常に目に入る。
ここは擁壁が多すぎる。

頻繁にみる悪夢で、疲れていた私はもう擁壁は見たくなかった。雨の日も晴れの日も大嫌いだった。
とにかく外に出たくなかった。食料の買い出しすら宅配で済まし、何週間も家から一歩も出ずに過ごしていた。

心なしか白髪が増えた気がする。鏡の中の隈が濃く、頬がこけて濁った目の疲れた自分を見る。
こうも頭がボサボサだと女かどうかもわからない。
とにかく、隣町の土地の擁壁が崩れませんようにと雨が降るたびに祈る気持ちで空を見上げていた。


さて、こうしている間にもただ塞ぎ込むわけにはいかず、私は相続した土地の売却活動をしていた。
手始めにインターネットで検索をかけて見つけた 負動産買い取ります! という派手な文字がバナーに踊り、テンプレートでもあるのかというぐらい似たり寄ったりなデザインのホームページたちに片っ端から査定を依頼した。

しかし早くて当日、もしくは翌日に買い取れませんと今後の健闘をお祈りされるメールが届くばかりだった。

そういえば就職活動でもお祈りメールは即レスで届くものだったなと思い出しながら査定を依頼したリストから社名を消し、メールをゴミ箱に入れる。
もっとも、わたしは家庭の事情で就職活動すら途中で中断してしまったじゃないか。本当に中途半端な人生。何も成し遂げられずただひたすら周囲に怯えながらもがく人生。嫌な思い出でキリキリと胃が痛む。
何が悪かったのだろうか?今それを考えても過去は変わらない。何度も繰り返した愚問でしかない。

行動しないと。例え結果が悪くても、何も行動しないでじっとしているよりは遥かにマシなんだから。


負動産買い取りをうたうホームページたちははどうやら相手にしてくれないということに気付いたので最後の数件を査定申し込みして、ちょっと考えてみることにした。

不動産を扱う会社にも種類がある。
負動産買い取りのホームページの会社たちはどうやら、古家をリフォームして投資家に販売したり賃貸に出したりする会社らしい。

そして隣町の土地家屋は多額を投じてリフォームしても賃貸にしては立地が悪いので客はつきにくいのではなかろうか。
もし自分が賃貸を探してたとしても、あの家は最初から除外する。

そういえばあの土地の周辺は賃貸より持ち家が多く、住宅街もある。さらに、ちらほらと新築の小さい戸建てが造成されたばかりの綺麗な土地の上に建っていることもあるのだ。

需要はなくはない。そしてあの土地は高さこそあるものの、300坪近くあり広い。
家の所有権をわざわざ取得するよりも、取り壊して造成するなら手間もない。

造成して宅地として分譲販売する会社に声をかけてみたらどうか―そう考えて私は地元の造成会社にメールを送った。


すぐにスマホに着信があった。
メールを送った造成会社のうちの1社が連絡してくれたのだ。
土地の広さや状態を営業の男性に伝えて査定をお願いした。

その数時間後も数社から連絡があり、土地について聞かれたがいい返事はもらえなかった。
夜になって1通のメールが届いた。
昼間にメールを送った造成会社のうちの1つだ。これで全ての造成会社から返事がもらえたことになる。

メールは私の体調を気遣う文章とともに、明日一緒に隣町の土地を見に行きたいということが書いてあった。
淡々とした文章を書くよう気を付けたつもりだが同じような状態の客が多いのだろうか、私が精神に不調をきたしていることが相手には分かっているようだった。


翌日、快晴で夏の気配を感じるぐらい暑い午後に造成会社の物腰柔らかな男性と上司らしき老人が来てくれた。
昨日までのボサ髪をできるだけ綺麗にまとめて隈をコンシーラーで消し、外出用のきれいな服を着た私は彼らと共に隣町の土地家屋へと向かった。

道中、義父が残していた資料を老人に渡して読んでもらった。
現地では土地を擁壁の下から見て地形を確認し、次に敷地に入って初夏らしく蜂が飛び交うなかで営業男性はきょろきょろと土地を見渡した。

真夏のような日差しだというのに真っ黒なトラウザーにネクタイ、礼儀正しく真面目そうな外見はまるで葬儀場の職員のようだった。
男性は要領よく紙にペンを滑らせて色々なことを書きつけている。

その間、私は老人と土地についての話を聞いた。
このあたりは昭和40年代に市道が整備されたので擁壁はその頃に作られたであろうこと。
義父が残した資料の境界確定の立ち合いの時に、元々あった擁壁の補強のために後付けで一番下の擁壁が付け足されているようなので、どうやら3段擁壁ではなく2段擁壁であること。
ハザードマップを見るとこの土地は擁壁の部分だけ真っ赤になっていて、おそらくマップ作成者の市役所も擁壁を危険視していること。


営業男性の調査が終わり、この土地を造成しなおして宅地として販売できるかどうか調べてみるということだったので依頼をした。
宅地として販売するなら土地をいくらで造成会社に売却したいか聞かれたが、この土地を手放せるのならお金はいらないと伝えた。


雨が降るたびに土砂崩れを起こしてしまわないかと怯え、怖くて様子すら見にこれなかった隣町の土地は今もしっかり土地の形状を維持している―先日の調査で隣町の土地家屋を訪れて少し精神的に楽になった私は、地元の相続に強いという司法書士事務所にアポイントを取った。

本格的に相続した土地の売却活動を始めたので未だに義父名義のままでは話にならないと思い、相続登記をして夫名義に変更することにしたのだ。
義父名義のままで置いていても土砂崩れがあれば戸籍が調査され、夫が責任を問われる事実は変わらない。
だったら今後円滑に取引ができるよう登記してしまおうというわけだ。

司法書士に義父の戸籍謄本と固定資産税の通知書、登記権利証を見せて相続人同士の遺産分割協議がまとまっていることを伝える。

途中で土地の話になり、ふと気になったので「こういった不動産を処分できる方法または、業者さんをご存じでないですか?」と聞いてみた。
相続問題を扱うことが多い司法書士の中には、意外とそういう方法に詳しかったり業者とつながりのある者がいたりするらしいのだ。

しかし、ここはそうでもなかったらしく「いや、知りませんね。市に寄付してみてはどうでしょう?これだけ広さがあれば公共施設でも作れそうですけどね。」と気のない返事が返ってきただけだった。
国が審査落ちさせて受け取らないような土地は、行政も受け取るわけがないだろう。



後日、司法書士から遺産分割協議書と登記申請書が届いたので、夫に署名捺印をしてもらい印鑑証明書を添付して返送した。
これであの土地は名実ともに夫の所有になった。

何としても売却して、手放してしまわなくては。


ここまできつい思いをしながら私が夫のために動くのは、経済力がない自分の生活のためでもあるが、もうひとつ大きな理由がある。

夫の祖母と約束したのだ。
夫の祖母は、私と夫が結婚したころは存命だった。
ただ、健康状態があまりよくなくてずっと入院していた。

私からすれば大姑となる夫の祖母は、私にもとても優しかった。しかも、気丈で賢くとても美人だったので私は夫よりも夫の祖母に惚れたぐらいだった。

その祖母が亡くなる前、私の手を固く握り「夫ちゃんをよろしくね」と震える声で夫のことを託した。
そして夫は祖母に手塩にかけて育てられただけあって祖母そっくりの温厚さと祖母を思わせる綺麗な手をしている。

夫のこと自体も大切に思っている。たとえ義父であろうと、夫の幸せを脅かすものは許してこなかった。
何ともおかしく、支離滅裂で矛盾しているように見えるかもしれないが、私は祖母との約束を守り通すことで夫を通した祖母とのつながりを大切にしたいと強く思っている。


そしてもうひとつ、私たちがこの負動産を処分できなかったら、これらは私の甥に相続されることになってしまう。
私の人生と引き換えに産まれてきたと言っていいこの甥は、私とは違ってとても綺麗なものなのだ。

一時は何故私がこんな思いをしなくてはならないのか、と納得できない思いはあったが甥が成長していくに従い気持ちが変わってきた。そもそも甥は勝手にこの世に連れてこられただけで、悪いことはなにもしていない。

甥にはどうか私よりもいい人生を送ってほしい。
そのために、私が甥の人生に負動産という暗い影を落とすことはあってはならない。


さて、隣町の土地家屋の状況は今まで書いてきた通りだが山林も色々と調べていた。
市道わきにある市街地のポツンと山林、しかも神社裏の禁足地で急傾斜地崩壊危険区域。
すこぶる悪条件だが、何か解決の糸口はないものかと探し続けていた。


とりあえず山林を相続で取得した場合は所有者の届け出をしなくてはならないというので、市役所へ行った。
届け出の書類をもらい、山林の地番を伝えておおよその場所を確認してもらう。

相続した山林の周辺にも同じような山林が複数あり、所有者が変更した場合などはこの窓口に届け出があるはずなので職員は所有者変更の理由や新規取得者が山林をどう利用するのか、何か知っているかもしれない。

タイミングをうかがって話を聞こうと思ったが、場所を確認し終わった職員が口を開く。
「えっ、ここですか?!わっ、こんな所どうやって手に入れたんですか!」
そんなのは私が知りたかったことだ。


帰宅した私は気を取り直して、山林の買取をしているという県内の材木会社へ電話をしてみた。
最初は買取依頼かと思われてしまい「無理無理!」と電話で叫ばれてしまったが、そんなことはこちらも分かっているので「違うんです!買取していただけるなんて思ってません!」と誤解を解いて、こういう形状の山林をうまく活用している事例や噂など存じ上げないか聞いた。

特にそういった例はないらしく「力になれなくてごめんね」と申し訳なさそうに言われてしまった。


通話を切りながら、森林のプロが知らないんなら私たちが相続した山林の需要は本当にないんだろうなと思った。
ネット検索しても同県内の山林は売りには出されるが購入はされていないようだったので売却・譲渡以外の方法を検討することにした。

それは、お金を払って土地を業者に引き取ってもらうサービスだ。
今は色々なものがビジネスチャンスになる。まさに渡りに船のようなサービスだが、それほど困っている人が多い現状があるということなんだろう。

しかし、引き取りサービスはだいたいが高額な金銭のやり取りが発生するし何らかの被害を受けても先祖代々の土地を金銭と引き換えに手放そうとした罪悪感から申し出ることが難しい。
当然詐欺も紛れている可能性があるということを念頭に、お金を支払うタイミングと土地の所有権移転登記のタイミングを各社のホームページで調べ
「これなら大丈夫そう!」という所をピックアップしていった。あとはざっと相場を調べて、安価な数社に見積もりを依頼した。

自動返信のメールによると、見積もりの返事は1週間ぐらいかかるということだった。



先日の夏のような晴天はどこへやら、強い風が吹いたかと思えば再び梅雨らしい雨がぐずぐずと降り続いていた土曜の夕方。

今日は季節の割には冷えるのでシチューにしようとキッチンで作業していたら2階の寝室で昼寝をしていた夫が眠そうに降りてきた。
「H家の高齢女性から電話があって、隣町の土地の家屋に空き巣が入ったみたい」と眠そうに夫は報告してきた。

隣町の土地の家屋はつい先日H家を訪ねた時に高齢女性と一緒に確認したが、家の中のものはほとんど処分済みで何もなかった。空き巣が入ったとしても被害の出ようもない家だ。
そもそも私たち所有の家でもなかった。

「ふーん」と私はどうでも良さそうに返事をする。
しかし数分後、夫のスマホに警察から電話が入り私たちは空き巣が入った隣町の土地の家屋まで来て現場検証に立ち会うよう指示されてしまったのだった。
どうやら高齢女性が警察に通報し、空き家の所有者として夫の番号を教えたらしい。


陽が長い6月といえど、雨なのもあってあたりは暗くなり始めていたがタクシーで現地まで行った。
敷地に入るとパトカーが数台とめてあり、既に警察が揃っていた。

まずは現場の状況を刑事から説明してもらい、最後に家に入った日や間取りなどを聞かれた。
スマホに残っていた画像のデータで最後に家に入った日が証明でき、間取り図も先日作成していたので提出できた。

土地の登記権利証の写しと鍵を持って行っていたので夫が家の所有者であると認められ夫が現場検証に立ち会うことになった。
私は夫の付添人ということで家の外で現場検証が終わるのを待つことになった。

雨が降っているので家の軒先で雨宿りする。
幸い夜間で、雨が降っているということもあり蚊はいなかった。
玄関のすりガラス越しに鑑識がフラッシュをたいて写真撮影をしているのが分かる。
同じく雨宿りで軒先に来ていた鑑識らしき職員と被害の状況について話をする。


警察では、夕方にH家の高齢女性から通報があり駆けつけたところ家屋の勝手口のガラス戸が割られており空き巣だと判断したので鑑識を呼んだということであった。
先日私が間取り図作成のために家の中を撮ったスマホ画像と実際の家の中を見比べたところ持ち去られたものはなく、ドアノブや手すりに不審な指紋は検出されなかったということだった。

家の中は大量の足跡があったというが、私と夫が先日家の中を見させてもらったときは土足でさんざんうろついたので多分それだろう。
ちょうど私と夫の履いていた靴が当時と同じ靴だったので靴裏の画像を鑑識に撮影してもらい、不審な足跡は無いということが確認された。


どうやら犯人はガラスを割って家の中をのぞき、そのまま入らずに帰ったようだ。

警察の方曰く、最近は空き家に残された骨董品目当てでの空き巣が発生しているという。
しかしこの地域での空き巣は大変珍しいらしく首をひねっていた。

私はそこまで聞いてあることを思い出した。
そうだ、そういえばこの家、負動産買取のホームページに査定依頼をしていたんだった・・・。
つまり不特定多数の人間がここ2週間以内で、この家が空き家だと知らせを受けていたことになる。

少し悩んだが私は相続で取得したこの土地家屋を持て余していることを説明し、複数の業者に買取依頼を出していたことを申し出た。
警察としては、これから買取する家を業者の方が傷つけるとは考えにくいから・・・と犯人候補から外していたようで見積もり依頼をしていた不動産会社名などは聞かれなかった。

しかしフルリフォームをして販売するのが前提の会社ならどうだろうか?
問い合わせの情報が漏れていたら?
ただの偶然だとは思いたいが、あまりにもタイミングが良すぎる気がする。
何も痕跡が出ない以上「考えすぎ」というものであるが「なくもない」話であろう。


とにかくトラブルが多く、イライラする家だ。
そう思いながら周囲を見渡すと、鑑識作業が終わったらしく家の中からぞろぞろと作業員が出てきて刑事に呼ばれ、持っていた鍵で勝手口を施錠した。

「終わった感」が出始めて各自荷物をまとめ始めたが、私たちは家までの足がないことに気付いたので先ほど話をしていた職員に「私たちタクシーで来たんですが、このあたりは場所を伝えてもなかなかタクシーがたどり着かない場所で帰りたくても帰れません。もし隣町方向に行く車があったら乗せてもらえませんか?」とお願いした。


本当はダメなんだけど安全上仕方なく・・・という体ではあったが私たちは運よくパトカーに乗せてもらえた。実際乗せてもらえなかったら雨の中、真っ暗な山道をしばらく歩いてタクシーを探すしかなかった。とてもありがたい。

結構、いや、かなり良いお値段のするパトカーだ。
後部座席にお邪魔してきっちりとシートベルトを締める。
山道を走っているがほとんど揺れがなく、カーチェイスの場面でも運転に集中できるいい車なんだろう。加速が素早く軽快なエンジン音。馬力が強そうだ。治安維持に必要なものにしっかりと税金が投入されていると思うと安心する。

家の前まで乗せてもらうのはさすがに申し訳なかったので、理由をつけて近所のコンビニで下ろしてもらった。
「もう暗いので、気を付けて帰ってくださいね。」刑事さんは心配そうな顔でそう言い残して去っていった。
色々な事件を見てきているのだろう。
私と夫と家に帰り、シチューを食べた。



7月半ばから8月上旬までは例年ひどい雨が降るこの地域であるが、今年はそんなこともなく異例の梅雨明けを果たしすっかり夏の青空を浮かべた空は燦燦と太陽が輝る日々が続いていた。

今年は空梅雨だった。
雨が降るたびに相変わらず悪夢に魘されてはいたが、雨量は少ないに越したことはない。とてもツイている。


先日山林の引き取りを依頼した業者のうちの1社からメールの返信が来た。
登記上の地番から山林のおおよその場所は分かったが、さらに場所を詳しく特定したいので必要な書類を揃えてほしいということだった。

職員が直接こちらに来て書類を揃えることもできるようだが出張費がかかるのでそれは遠慮して、私が各機関へ赴き資料を集めることになった。


まずは山林の正確な場所・範囲が国土交通省の行う地籍調査で判明しないか確認をすることになった。

今現在登記されている山林の場所や面積は、そもそもが明治時代行われた地租改正により土地の所有者から固定資産税を納税させるために登録されたものである。
正確な地図や測量技術のない当時、急ピッチで進められたため和紙のような紙に太い筆で地図を適当に描き、その地図の中の土地部分を実際に土地所有者の話を聞きながら埋めていく・・・という大変お粗末なものであった。

また、そのに時登録された所有地の面積が大きければ大きいほど請求される固定資産税は高くなってしまうので土地所有者の中には自身の土地を実際よりも小さく申告するものが後を絶たず、後々正式に調査したら登記上の土地面積よりもはるかに大きな面積だったという「縄伸び」と呼ばれる現象が多発している。

地籍調査ではそんな事情で「とりあえずこのあたりの場所、このぐらいの面積かも?」と真偽も確かめられずに慌てて登録された土地の情報を訂正して正確な固定資産税額に反映し、隣接する土地の所有者同士による紛争を減少させるべく改めて土地所有者を現地に集めて実際の土地の衛星写真を見ながら申告してもらいそれを登記に反映させるという一大事業である。

途方もない数の土地一つ一つを実際に所有者が立ち合いをしながら登録することは容易ではないようで、調査の進行率はあまり良くないが自分が所有する土地が登録されていれば、わざわざ時間とお金をかけなくても土地の正確な場所と面積が分かるので非常にラッキーなのだ。


さて、山林であるが実際に市役所へ赴いて土地所有者の家族であることを証明し職員に話を聞いたところ山林のあたりは地籍調査がされておらず何の収穫もなかった。


であれば、一から調査するしかないだろう。
次は法務局へ赴き、公図と呼ばれる明治時代に作成された雑な手描き地図の写しを態度の悪い窓口職員から取得した。

この地図を現場の衛星写真と照らし合わせてみたが周辺が宅地開発されたことを考慮しても、おかしなことに地形がかなり違うようだ。
一瞬違う地図を取得してしまったか?と思いはしたものの、町名と地番は合っていたのでその地図をスマホで撮影し業者へメールで送った。


翌日、メールの返事が来た。

大体の山林の場所は絞り込めたが、やはり資料が足らず確定までには至らなかったこと。
おおよその山林周辺の様子をストリートビューで確認したところとても古い擁壁が見つかったこと。
擁壁が敷地の中にある場合は土地の引き取り金額が相当跳ね上がることが書いてあった。


擁壁!
また・・・擁壁・・・!


思わぬ知らせに息が止まり私の心は砕けてしまいそうだった。
赤いピンがたてられたマップの画像を確認すると確かに山林に沿うように大きくて古い擁壁がそこにあり、その擁壁の横には市街地を一望する立派な家が建っている。

擁壁のすぐ下の庭にはパラソルが立ててあり、そこで優雅なティータイムを過ごせるテーブルセットが置いてあった。


人の手が加わっていない自然な崖は土砂崩れを起こしても、所有者の責任が問われるケースは限られてくる。
しかしその崖に人の手で作った擁壁という構造物がついていると、いかなる場合でも所有者は責任を問われ、賠償責任が発生してしまえば「罪を償う」という賠償の性格上たとえ所有者が自己破産しても支払いは免除されず、いかなる経済的な窮地に立たされても一生涯をかけて賠償金を支払い続ける人生が待っている。

そもそもが、こんな負の遺産は売れもしない。そして、たとえそんな土地であっても持っていれば「資産がある」とみなされ自己破産すら許されない。例外はあるものの、難易度は極めて高くめったに認められるものではない。
土地のせいで、擁壁のせいで、人生はあっけなく終わるのだ。

何の楽しみもなく、必死に働き、暑さ寒さと飢えに耐え、何があっても自己破産すら許されず賠償金をただひたすらに払い死んでいく人生は「生きている」と言えるのだろうか?
何故、そのような土地を残し、平然と相続させるのか。
私たちは、何も悪いことをしていないのに!


この擁壁が崩れたら、この立派な家の住民は意気揚々と弁護士を雇い可哀そうな被害者として土地の持ち主を訴え、厳しく責任を追及し、その人生を風前の灯へと変えてしまうのだろうか。

こんなの、ただの言いがかりだと頭では分かっている。擁壁が崩壊して発生した住宅や庭への被害に対して、擁壁の所有者が責任を負うべきなのは明確に理解している。それでも、それが物凄く理不尽に感じて全く関係ないはずの他人を心の中で強く呪わずにはいられない。
強い負の感情に目の前が真っ暗になるようだった。
真っ黒に自分の心が染め変えられていくような屈辱を覚えた。この感情ごと自分が崩れてしまう。私の人生を汚された。そう感じた。

私はスマホ画面に表示されている立派な家をもみ消すように親指で強くなぞり、消えない家を憎々しげな目で見つめた後、目を強く閉じた。



ただうなだれていても、誰も何もしてくれないし、何も決まりはしない。
頭の中でバチバチと火花が散るように爆発する怒りを何とか抑え、ゆっくり低く数回呼吸をして強ばる血管と筋肉を落ち着けた。血圧が上がりきって、全身が強く脈打つ。強いストレスで身体が傷んでいくのを実感する。


追加で出せそうな資料があったら何でもいいから見せてほしい、そう書いてあったメールの指示にとにかく従うことにした。
その足で市役所へ行き、山林の地番で擁壁を作る建築許可等の申請は過去に出ていなかったか問い合わせをした。

結果は、申請が出された記録はないということだった。
考えたくはないが、もしあの擁壁が所有する山林の敷地内にあったとして、建築申請が出されていないということであれば違法に建築されたことになる。
もしくは擁壁があまりにも古すぎて資料が残っていないのだろうか?
何も判明はしなかったが、何も行動を起こさないよりははるかにましだ。


業者には、山林の地番で建築申請などは出されていなかったようだと報告し、義父が残していた山林の隣地を境界確定するための立ち合い要請の手紙1枚だけを添付して返信した。


翌日、数通のメールが届いた。
山林の引き取りを依頼していた他の複数業者からの見積もりが届きだしたのだ。
200万円、300万円・・・500万円と高額な見積もりが並ぶ。

崖地はリスクが大きすぎるからそもそも引き取りをしてくれる業者が少ない。
そしてリスクが大きすぎるがゆえに高額な金額を「諦めてください」とばかりに提示される。
この金額をたとえ払うと言っても、のらくらと言い訳をされて結局は引き取ってもらえないんだろう。

今はもう何も信じられない。自分の心がこれ以上砕け散ってしまわないように私の猜疑心は過去最高に高ぶっていた。


もうダメかもしれない・・・
お金と時間はかかるけど、正式に土地家屋調査士へ依頼して山林の範囲を調べてもらおうか?
夫とはいったん離婚してしまって、何かあったときに夫が経済的に苦しまないようサポートできる別の経済世帯を作るか?
色々なことを考えながら頭を抱えて座っているとスマホの通知が鳴った。
メールだ。

また、高額な見積もりだろうか・・・と思いながら見てみると昨日メールを返した業者からで、タイトルには「見積もりが出ました」と書いてあった。


???


私の頭は混乱した。
昨日は土地の範囲がおおよそでしか分からないからまだ見積もりが出せないと書いていたが・・・

メールによると前回私が添付した「山林の隣地の境界確定をするための立ち合い要請」の手紙を見た業者が山林の隣地の境界が確定されているのではと調べ、土地の形がはっきりと座標付きの図形になって登記されていた隣地の地形と現地の衛星写真、明治時代の公図をパズルのようにあてはめて夫が所有する山林の場所を特定したのだという。

そこは、例の擁壁からは離れており建物もなにもない「ただの山林」だった。
見積もりには他の業者が出してきた金額よりはるかに安く、現実的な値段が表示されていた。


それからは毎日ポストを今か今かと眺めて過ごした。
そしてたった今、郵便局員が夫あてのレターパックを友好的な笑顔と共に手渡してくれた。

急いで中身を確認する。
契約書、登記申請書が一式、取引の流れを説明した紙、計算書。
契約書の内容を精査する。

不動産取引では一番よく使われるスタンダードなひな型にそって作られた文章を一字一句、漏らさず読み内容をじっくり考える。
特に契約解除や契約不適合責任、特約条項を確認して書いてある内容で山林がきちんと取引できるか落ち着いてひとつひとつ確認する。

登記申請書も同様に地番や双方契約者の情報などが間違っていないか確認した。


やっと。やっとだ。
これで負動産のひとつ、山林を手放せる。
そう思うと自分でもゾクッとするほど色々な感情が溢れ出てきた。

安堵。不安。恐怖。焦り。怨嗟。感謝。罪悪感。後悔。そういった様々な感情が複雑に絡み合い、極上のウィスキーのように意識は明瞭なままの私の感覚を麻痺させた。


翌日には署名捺印と必要書類を添付した登記申請書と必要書類を法務局へ発送した。
契約書も同時に業者へ発送した。

翌々週に業者から山林の所有権移転登記が終わったことを証明する法務局発行の登記完了証原本が届き、一字一句を確認した後契約書の内容に従い山林の引き取り費用を送金した。

数日で領収証が届き、業者からは引き取った土地はしっかり管理していくので今後は安心して過ごしてほしい旨の文章が添えられていた。
こうして、山林の引き取りサービスの全行程は終了した。

私が業者に初めて声をかけてから1か月足らずでの出来事だった。


山林を手放せた。
恐怖が強すぎて未だ実感はわかないが、間違いなく山林の契約書と登記完了証が手元にある。

どん底からやっと一歩這い出すことができたのだ。



こういった土地の引き取りサービスには賛否両論あることは知っている。
外国人に売るのかもしれない、受け取った土地をペーパーカンパニーへ移して捨ててしまうかもしれない。そういう声がある。

売るに売れないような土地をどう処理しているのか、確かに私もそこは分からない。
実際に何か利益を出せるよう工夫した使い方をするのかもしれないし、何十年かそのまま手元に置いていれば状況が変わると読んで寝かせているのか。

制度の抜け穴、法律の抜け穴。このサービスにそういったものを感じ取っている方も多いだろう。
だが、このような業者は年々増加しており私たちが利用した業者もここ数年は職員が増えて非常に忙しく全国を飛び回っている。

資本主義社会の開かれた市場では確かにこのサービスは需要があり認められている。
実際に私たちも助けられ、今は平穏に安心して日々を過ごせている。
将来のことを考えることが出来るのは大きな幸せだ。人生に選択肢があるのはほんとうに素晴らしい。


このようなサービスを声高に断罪する方は、実際に私のような立場に陥ったらどうするのだろうか?

国も県も市も誰も助けてくれないし話すら聞いてくれようとしない。
誰も欲しがらず、売りに出しても閲覧数2桁にもいかない。
土地はいとも簡単に所有者の人生を食い潰す。
そういったものから逃れるために、震える手で問い合わせをして、縋るような気持ちでサービスを利用する人がたくさんいることを忘れないでほしい。


ちなみに、手放した山林だが、数か月前に更新されたストリートビューの画像では斜面に鬱蒼と茂った竹はキッチリ間引かれ車道に張り出さないように剪定してあった。
周囲の山林より明らかに綺麗な状態に手入れされていた。
約束通りしっかり管理してくれていることがよく分かる状態だった。


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