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「信じる」とは。

記事をご拝読いただきありがとうございます!

TAKAPANと申します。

僕は23歳の四国出身

現在は広島県で医療従事者、スポーツトレーナーとして活動しています。

このアカウントではトレーナーや医療従事者としてではなく23歳なりに感じた社会へ思うことや社会人としての失敗や成功を共有するnoteになります。

◆人は本当に相手のことを信じているのか


「信じる」

僕らは

「この人を信じる」

「あいつは信用できるだとか」

人は人を軽々しく信じると言ってしまう。

でもふと考えてみると

本人が人を信じて裏切られると

その人をいじめたり

嫌ったり

期待していたのに

とにかくネガティブな印象を抱いてしまう。

そしてをよくよく考えてみると

これって

「相手の見えなかった部分が見えただけ」

だったりします。

人が良く勘違いしてしまっている「信じる」とは

相手を信じているのではなく

自分の頭の中にある相手の像を信じてしまっているような気がします。


◆自分の理想に相手を当てはめてしまっているのでは


僕らはついつい自分の理想に相手をついつい当てはめてしまいます。

そして多々裏切られたり、期待はずれだったりするわけですが

この時、不快思っても

「それもその人なんだ。一旦受け入れてあげよう」

こんな感じで受け止めてあげることが大切だと思います。

そして呼吸を整え、
「自分の理想ばかりに相手を当てはめていなかったかな」

こんなふうに自分に矢印を向け
しなやかな思考ができると良いかなとも思っています。


◆「信じる」の定義


結局人を信じる定義はなんなのか

パッと思い浮かぶものとして
・相手に自分の思いを預ける
・自分の全てをさらけだす

こんなことが思い浮かびました。

ここで分かったのはあらゆる「信じる」という言葉の共通点は

自分だけではなく自分を含む2人以上の存在があるということです

で10分ぐらい瀬戸大橋からの景色を見ながら電車の中で揺られながら考えてみると

「どんなことが相手に起こっても自分が相手を受け入れられる自分を保つ」

こういった答えに辿り着きました。

でもどんなことが起こっても動じない自分を保つのってすごく難しくて

困難だと思います。

この困難を逃れるために人は
「その人を信じる」

と言ってしまうんだなと感じました。

人には自分を守る防衛本能があるため、不安になり

自分の理想の人物像につい当てはめてしまいます。

なので初めの1歩として人を信じることに関して

しっかり考みるだけで

他人への受容体の範囲が広がると思います。

参考にしていただければ幸いです。

ではでは。

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