積み上げた努力は裏切らない!不安があっても、サッカーの楽しさを忘れないで欲しい。
<プロフィール>
池崎 愛(いけざき まな)
出身地:宮崎県、ポジション:DF
サッカー歴:広原FC(宮崎県)→神村学園中等部/FCフレンテ(鹿児島県)→広島文教女子大学附属高等学校(広島県)→尚美学園大学(埼玉県)→AC長野パルセイロレディース(長野県)→アンジュヴィオレ広島(広島県)→ディアヴォロッソ広島(広島県)
現職:舶用機器メーカー
当コンテンツはカオナビと今治. 夢スポーツが取り組む地方創生「-shipプロジェクト」のキャリアオーナーシップ施策がきっかけで生まれました。
現在の状況について
ー サッカーとお仕事を両立されているのですね?
はい。平日は朝8時から17時まで舶用機器メーカーで働き、その後19時から21時まで練習しています。火曜日がオフで、それ以外はほぼ毎日サッカーですね。
ー お仕事はどのように選択されたのですか?
これまでもそうですが、デスクワークというよりは体を動かす仕事をしたいなって思っていました。いくつか選択肢がある中、FC今治レディースのパートナー企業でもある舶用機器メーカーで働かせていただいています。
作業着を着てペンキ塗りや重たい物を運んだりもしています。大きな鉄の部品を扱ったりする体力仕事ですが、フィジカルトレーニングにも役立っています。また、サッカーでの経験、周囲を見る力や次の流れを感じ取る力なども微力ながら職場に還元できているとも思います。
サッカーキャリアについて
ー サッカーを始めたきっかけは?
小学3年生からサッカーを始めました。母親の同級生がサッカーをしていたのですが、1歳を過ぎた頃にその方からサッカーボールをいただいたようで。もともと外で遊ぶのが好きだったのですが、その影響からか、自然とサッカーボールで遊ぶようになりました。どんどんサッカーに興味を持ち、小学2年生の時からチームに入ってサッカーをやりたいと懇願していたようですが、女の子だからと親にとめられていました。笑
何度も気持ちを伝え続け小学3年生にあがったタイミングでチームに入ることができました。
ー 中学年代から越境されたとか?
地元のサッカーチームに入り、男子と一緒にプレーをしていました。小学校の高学年になると、さらにサッカーにのめり込み、もっと高いレベルでプレーしたいと思うようになりました。
両親の後押しもありましたが、やるからには徹底したい気持ちが当時からありました。福島や関西など全国の強豪チームを検討していましたが、最終的には鹿児島にある神村学園中等部に進学しました。
自分を高められそうだなというのと、地元宮崎からも近いということもあり神村学園へ進学しサッカーと勉強の両立を目指しました。
ー 早いタイミングで家を出られたんですね。
はい。中学生に上がるタイミングで家を出ましたが、サッカーをやりたい気持ちが強く、心配な気持ちよりわくわく感の方が強かったのを覚えています。いつの間にか地元を離れた期間の方が長くなってしまいましたね。
ー その後のサッカーはどのような環境でしたか?
高校は広島県へ、大学は関東へと共に強豪校へ進学しました。それぞれのチームを通して多くのポジションを経験し、また人間的に成長することができたと思います。
<高校時代>
それまで攻撃的なポジションだったのですが、ボランチやディフェンスなど守備的なポジションも経験しました。1人3つはポジションを経験させるというチーム方針があったので。それまでは足が速かったこともありフォワードやサイドハーフをやってました。
また、当時の監督は一人ひとりの性格を見抜く力が怖いくらいにあり、表も裏も全て把握されていました。さぼったプレーをするとすぐばれちゃうんです。笑
取り繕ってもすぐにばれちゃうので、本音でぶつかり合うしかなくて、かなり人として鍛えられましたね。その分、信頼もでき、自分の成長をそばで見守ってくれました。安心してプレーの幅を広げ、質向上、人間力向上に邁進できた時期でもありました。
<大学時代>
ディフェンスをメインに守る技術、対人の強さを身につけました。連動して守ることの大切さや、そのために何をしたらいいか?何が必要か?信頼感、コミュニケーション、ここでもまた、いわゆる人間性をかなり鍛えられたと感じています。
大学2年生から元なでしこ代表選手だった池田監督に指導いただきました。監督自身がディフェンダーだったこともあり、かなりきめ細やかなディフェンスの動きを教えられました。あとは、同性ってこともあってか距離も近く、かなり”人として”を求められましたね。細やかな気配り、考え方、発言などなど。また、母のようにも接してもらいました。日本代表でも活躍された監督に、こそっと現役時代のサッカーノートも見せていただいたり。今思えば写真撮っておけばよかったなって後悔してます。
ー 期待・信頼の証ですね?
そうだといいのですが。在学時にはチーム内での各年代の責任者に選んでいただいていたこともあり、チームメイトが規則を破った場合、私に指導が入ることがしばしばありました。当時は理解もできず「なぜ私に?」と不満に思っていましたが、いま考えると信頼してもらっていたのかなとか、解決への行動力を評価いただいたのかなとも思います。
ー 複数チームを経てFC今治レディースにこられたんですね?
大学卒業後、長野パルセイロに加入しました。その後、広島のチームを経て、ここFC今治レディースにきました。
FC今治レディース加入までの経緯
ー サッカー選手の引退を考えたことがあるとか?
はい、アンジュヴィオレ広島在籍時に一度引退を考えました。フィットネスジムで働きながらサッカーをやっていたのですが、そのスタジオでの仕事がとても充実していて、もともと人の体にも興味を持っていましたし、楽しく仕事ができていたので。当時20代半ばで将来を考えると、このまま引退してもいいかなとも考えていました。それまでは一度もサッカー以外の選択肢はなかったですね。
ー やっぱりサッカー選手を続けようと思ったのはなぜですか?
試合には出れていましたが、サッカー選手として成長が止まっている感覚が自分の中にありました。ただ、まだ伸びしろはあるとも思っていました。
このタイミングで将来のためにも仕事を選ぶことを視野に入れていましたが、やっぱりサッカーが好きだし、もっと選手として成長したいという気持ちが強く、サッカー選手を続ける選択をしました。
ー FC今治レディースを選択されたんですね?
理由はいくつかありますが、これまでのキャリアの中で所属したチームが上のカテゴリーへ昇格した経験があったので、その経験を活かせるチームでプレーしたいと思っていました。再び、なでしこリーグへの昇格にチャレンジすることで選手として成長したいなって。
また、純粋にFC今治レディースからオファーをいただけたことに感謝の気持ちもありました。
現在サッカーを頑張っている方々へアドバイスをお願いします
ー サッカーの経験が仕事で活きていることはありますか?
先ほども少し触れましたが、常に周りをみて全体のながれを円滑に進めるように準備、行動することができていると思います。あまり深く考えずに、気付いたらそういう思考になれているのは、これまでの指導者やチームメートとの出会い、キャプテン経験、ポジション特性などを通して得られたのかなと考えています。
ー 将来の夢はありますか?
正直、今は具体的な夢はありません。選択肢のひとつに引退後、体のことを詳しく勉強し、またフィットネスジム関係の仕事に就けたらいいなって気持ちもあります。ですが、今はサッカー選手として可能な限り続けたいと思っています。
ー サッカー選手を目指す若い世代へのアドバイスをお願いします。
一番大切なのはサッカーを楽しむことですね。どんな時もそれを1番に考えて欲しいです。気持ちが乗らない時や、苦しい時もありますが、チームとして勝った時の喜びや達成感は何ものにも代え難いですから。
一つひとつ積み上げたものは絶対に裏切りません。サッカーを楽しむことで、サッカー選手として、人として成長し続けることができると信じています。不安を感じることもあるかもしれませんが、サッカーの楽しさを忘れずに続けてほしいです。
<編集後記>
各年代でキャプテンや責任者などを歴任されてきたことが物語っていますが、芯の強さ、自身の哲学をしっかりと形成されている印象の選手。衰えない向上心もあり、またサッカー以外の世界へ移ったとしても周囲を巻き込みながら楽しく物事を進めていくんだろうなと感じさせられる選手でした。
当コンテンツはカオナビと今治. 夢スポーツが取り組む地方創生「-shipプロジェクト」のキャリアオーナーシップ施策がきっかけで生まれました。
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