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下北沢、ボブマーリー、街の上で、

絶妙な偶然やちょっとしたすれ違いが重なって、バラバラに見えた人間関係が線で繋がったり丸くおさまったりする。登場人物達がめざましく成長する訳でもなく物語が急展開を迎える訳でもないが、だからこそずっと彼らを見ていたいと思ってしまう。今泉力哉監督の『街の上で』はそんな風に、本当に自分が下北沢という街の片隅から街の人達の時間を眺めているかのような作品だった。

ネタバレになるので詳しくは書けないが、主人公が打ち上げの席で知り合った女の子に誘われ、彼女の家までのこのこついて行き延々とお喋りをするシーンがある。どうかすればどうとでもなりそうだけどならない男女の微妙なシチュエーション。ああいいな、可能性と時間が有り余っているって。観ながら猛烈に羨ましくなった。

いや、でも待て。私もこれとそっくりな時間を過ごしたことがある、しかも下北沢で。

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中途採用で会社に入って来たその人はドレッドヘアだった。タイダイ染めのTシャツ、もじゃもじゃヘアに不釣り合いなほど華奢な体型のその人は、服装の自由な私の職場でもかなり目立っていた。部署は違ったが同い年だったこともあり、社内で会えば立ち話をしたりお互いをからかったり、CDを貸し借りするくらい親しくなるのにさほど時間はかからなかった。

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彼が下北沢に住んでいると言っていたのを、日曜日に1人で下北沢をぶらぶらしていた時にバッタリ会うまで忘れていた。「本当にこの辺なんだ」「来てみる?」みたいな感じで、商店街のはずれの今どきこんなアパートまだあんのかっていうくらい古めかしいアパートにお邪魔した。どんな話をしたのかはもう思い出せない。薄暗い部屋の壁にボブマーリーのポスターが貼ってあったことと、CDラックにあった『砂漠に赤い花』の入った斉藤和義のアルバムを借りたことは覚えている。

明日も仕事だしそろそろ帰ると告げると「お前んち会社まで歩いていけるんだよな、明日の朝楽だしこのまま一緒に行こっかな」と言われ、狼狽えるのはダサい気がしてそのまま私のアパートまで一緒に帰った。相手に下心があるのかは分からない。あっても別に構わない、なくてもまぁ構わない。楽しくて何となくこのまま別れがたいこの気持ちだけは通じ合っている気がした。

六畳一間の和室で私のベッドの横に布団を敷き、段差はあるが並んで寝た。本当は真面目すぎて悩んでいるとか空回りするほど人に気を遣いすぎて疲れてしまうとか不眠症で悩んでいるとか、ポツリポツリと話しながら結局私より先に寝てしまった。全然不眠症じゃないじゃん。

いつもリストバンドをしていた彼の右の手首に『FIGHT FOR JUSTICE』というタトゥーが入っていることを、私はその夜初めて知った。

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それから程なくして2人ともその会社を辞めてしまい、それきり音信も途絶えた。誰かに聞いて連絡先を知ろうと思えば知れたがそうしないでいるうちに忘れていた、この映画のあのシーンを観るまで。記憶の冷凍庫の隅に転がっていた謎のジップロックは、さっきまで中身も分からなかったのに、解凍された途端にあの部屋のお香の匂いや夜の空気の風味まで蘇る。

あの夜のあれは何だったんだろうな。

今映画を観ていると、あれが何だったかとか、あれ以上何かあった方が良かったのか、とかを考えるのはあまり意味のないことで、ああいう時間そのものがなんだかとてつもなく贅沢なものに感じるのだ。

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