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何者かになりたかった私へ

何にもなれなかった私。
こんな年齢になった今でも、時々そんなことを考える。
何にも、の何がなんなのかよくわからないけれど。

進路や仕事についてうっすら考え始めている娘達を見ていると、何になれるか分からないけれど何者かになりたくて仕方なかった頃のことを思い出す。

その人は、私のいた大学の写真サークルに二年の終わり頃入って来た。違う学部の私と同い年ということだったが、広すぎる額のせいなのかのんびりした話し方のせいなのか、私よりうんと歳上に見えた。大まかなサークルの決まりや暗室の使い方を説明する役を買って出たのをきっかけに、それまで私が仲良くしていた仲間に彼が加わる感じで、私達は東京のいろんな場所にカメラを持って出掛けた。上野、浅草、月島、銀座、下北沢、新宿、谷中。一見どうということのない地味な風景の中に、微かな笑いや人の気配を感じる彼の写真は、彼の人柄そのもののような味わいがあって私は結構好きだった。
中古で買ったカメラにフィルムをセットして街を歩けば、あの頃気持ちだけはアラーキーにも森山大道にもヒロミックスにもなれる気がした。

やがて就職活動の時期が来て、私達はあっさりと「写真は趣味」と割り切って何処かしらの会社に内定を貰い社会人になった。
彼以外は。
彼だけは就職活動をしておらず、なんと卒業後アルバイトをしながら写真の専門学校に通いはじめた。驚いた。彼がいつそんな覚悟と決断をしたのか、みんな自分の就活に手一杯で誰も知らなかった。

社会人になって一年ほど経った時、突然こちらから連絡をして一度だけ彼の住まいに泊まったことがある。
SNSで近況を知れたりLINEで簡単に連絡がつく時代ではなかったから、本当に突然、一方的に私が電話をして会いに行った。
その頃の私は、仕事は覚えても覚えても毎日思いもよらないトラブルが起きたし、恋愛も全然上手くいっていなかった。
図々しい予感ではあったが、留守でさえなければ彼が私を断らない気もしていた。
彼があの頃どんな写真家もしくは職業を目指して専門学校に入り直したのかは分からなかったが、洋楽と椎名誠と東海林さだおが好きで、多分私のことを好きだった。私は前からそれに気づいていたけれど、何も言ってこないのをいいことにずっと知らないふりをしていた。
自由度は減ったが金回りは良くなった私とは対照的に、経済的にはキツそうだったけれど学生生活を延長して、未だ何者かになるための助走をしている彼が羨ましかった。自分だけがどんどんつまらなくなっていくような焦りもあった。
私はあの日、忙しいだけで冴えない自分の毎日の腹いせみたいに無邪気に部屋を訪ね、寝袋で寝ると言う家主の言葉に甘え、貸してもらった布団で無防備に眠った。今思うと本当に厚かましいし思い上がっていたと思う。
彼の優しさと好意を身勝手に意図的に利用していた。

翌日、学校の課題用の写真を撮るから一緒に行く?と聞かれ、学生の時以来で彼と街を歩いた。あの頃よりも高そうなカメラを持っている彼と、カメラのない手ぶらの私。
どの辺りを歩いたのかもう記憶が曖昧だけれど、写真に撮るとちょっと退屈なほど、抜けるように空が青かったことだけやけに鮮明に覚えている。

その日以来彼とは会っていない。

専門学校を出た後、彼がどんな仕事に就いたのか就けなかったのか分からないが、その数年後に地元に帰ったことを人づてに聞いた。

何者かになりたかった。
覚悟と才能と努力と運とあとは何が必要だったのか。なんて、どれも持ち合わせなかったくせに今も時々考える。
彼が通っていた専門学校は今も山手線の線路沿いにある。通勤中に窓から見かけるたびに、もどかしいくらい優しかった彼のことと、バカみたいに青かった空と青かった自分を思い出す。

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