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福沢一郎のユーモラスな人間嫌い

シュルレアリスム(超現実主義)を日本に紹介したとされる、福沢一郎。「東京国立近代美術館」で開催中の『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ』展では、ユーモラスで皮肉屋な、それでいて同情心の深い福沢一郎の一面を、さまざまな作品から感じることができました。


ポスターに一目惚れして、東京国立近代美術館へ

今週はどこへ行こうかなとネットサーフしている最中に見つけたのが、東京国立近代美術館で開催中の『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ』(以下略『笑いとばせ』)。

リンカーン似のブラウン髭オヤジが、口から光線を放っているエキセントリックな絵画に一目惚れして、次の日には東京国立近代美術館へ足を運びました。

展内は広々とした空間で、人もまばら。まぁ平日の真昼間だったからですが、福沢一郎の作品を時間をかけて観ることができました。



買う気はなかったかけど、帰り際に図録を購入

結果から言って、お金を払ってでも、もう一度行きたい展覧会です。

恥ずかしながら、今回『笑いとばせ』に行くまで、福沢一郎の絵を見ることも、名前を聞くこともなかった、ワタクシ。

「なんでこんなにすばらしい作品が日本にあることを知らなかったんだ!」と、自らの無知を大いに反省しています。

見に行くまで図録を買う予定なんてこれっぽっちもありませんでしたが(失礼か)、帰り際には迷うことなく図録を購入しました。


ただし、個人的に好きな作品はポスターに使用されている《躍動者》のようなシュールな絵ではなく、中南米の人々からインスピレーションを受けた原始的な画風の作品や、現代の世相を地獄になぞらえた地獄シリーズなど。

《躍動者》のように「風刺きかせてまっせ」な感じの絵もキャッチーで興味深いですが、暴力的な色彩と、危うさを感じさせる輪郭線の中にこそ、福沢一郎から見た“人間性”=業の深い生き物が如実に現われているように感じました。



文学的関心を地獄シリーズの活力に

もともと文学科に籍を置いていた福沢一郎。彫刻や絵画など、美術方面にシフトしたものの、文学作品への興味は尽きないと見えて、ダンテの《神曲》地獄篇をモチーフにした作品群を描きはじめます。

そして1970年代に、福沢一郎のダンテ地獄ブームが再来

西の《神曲》に加え、《往生要集》に登場する仏教的地獄をもイマジネーションの源に加えました。

『笑いとばせ』展では、「世相をうつす神話[2]」の題して、14つの“地獄”作品が展示。

《トイレット・ペッパー地獄》や《政治家地獄》のように、当初の風刺画風のようなユーモラスな地獄もあれば、《地獄》や《閻羅人亡者を絞首する》のように、こちらが絵に取り込まれそうなほど不穏な雰囲気の地獄や、《ファリナータ》や《悪魔の矢Ⅰ》など、細かな部分まで書き込まれた地獄など、地獄のバリエーションがまぁ豊富です。

すべて1970年代の前半に制作されたものなのですが、同じ年代に制作されたとは思えないほど、いろいろな角度から地獄が描かれていました。


《トイレット・ペッパー地獄》
《政治家地獄》
《地獄》
《閻羅人亡者を絞首する》
《ファリナータ》
《悪魔の矢Ⅰ》



創造的な地獄はユーモラスに、目の前の現実は残酷に

バリエーション豊富な地獄を描いた福沢一郎ですが、不思議と地獄をテーマにした作品からは、地獄の悲惨さや残酷さといった負のイメージは不思議と感じません。

一方で、少し遡ること1960年代。アメリカ旅行の際のインスピレーションで描きあげた作品群からは、心の奥に訴えるかけるような、おぞましさを感じました。

地獄シリーズのような暴力的なシーンが描かれているわけではないのに、画面を彩る鮮やか色彩からは、そこはかとない悲壮感が漂っています。

中でも私がお気に入りなのが、《霊歌》です。

画面いっぱいにひしめく人間たち。

そこには、喜怒哀楽の感情がない交ぜになっていて、同じ人間とは到底思えません。それでもどこか共感し、どこか畏れを抱くこの作品を、『笑いとばせ』展では最も長く見つめたかもしれません。


《霊歌》


福沢一郎=シュルレアリストを訂正

福沢一郎というと、シュルレアリストとして紹介されることが多いよう(ワタシはまったく知らなかったんですが)。

しかしシュルレアリスムと深い関係があるとの周囲の評価にもかかわらず、

福沢一郎は「俺ぁシュルレアリストなんかじゃあねえよ」と言い放ったそうです。

たしかに、作品を見ているとシュルレアリスムを感じさせる作風や部分もありますが、そんな一元的な括り方をするには、彼の表現する所はあまりに多すぎます。

また1930年代にはヒューマニストとも呼ばれていた、福沢一郎。

そんな背景を受けて、東京国立近代美術館の美術課長・大谷省吾氏は図録の中で、福沢一郎を“人間嫌いのヒューマニスト”と称しています。

「人間嫌いのヒューマニスト」。一見、語義矛盾したこの言葉こそ、福沢一郎を形容するのにふさわしいのではないだろうか。–中略–そこには人間という存在への絶望と希望とがないまぜになっている。人間を、そして社会を辛辣に見つめ、その弱さや愚かさを笑いとばそうとしてきた画家、福沢一郎。※


人間が嫌い。でもその嫌悪は人間への希望が詰まった、天の邪鬼的な愛なのではと、ワタシも共感。

『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ』は、福沢一郎の皮肉めいた人間への愛情が詰まっている展覧会でした。



『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ』
Laugh Off This Hopeless World: Fukuzawa Ichiro
2019年3月12日(火)〜5月26日(日)

東京国立近代美術館
〠 東京都千代田区北の丸公園 3 -1
¥ 一般 1,200(900)円 、大学生 800(500)円
★ 金・土曜は20時まで開催

※『福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ』図録、発行:東京国立近代美術館
※使用している写真はポスターや図録をON仔自身が撮影したものです。無断での使用や転載はご遠慮ください。

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