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思春期

春を思う時期

最近起こったことについて、特筆することもないので、過去のことについて書いてみる
思春期とは、12歳くらいの男女に起こることで、体の成長だったり、内面の変化が起こる時期

僕の思春期は11歳くらいの時に始まったと思う。元々体毛が濃いので、陰毛が生え始め、ヒゲが濃くなり、元々低い声がさらに低くなった
ちなみに、クラスの中でも体の変化は早かったと思う。修学旅行の温泉でガチ緊張してた

異性への意識も顕著で、僕の初恋も11歳
転校生で、メガネがよく似合い、メガネをかけてるのに遠くを見るときは眉間に皺を寄せていた。綺麗な顔立ちとは対照的なしかめっ面が好きで、何よりその子はスタイルが良く、足が速く、字が綺麗だった

昼休みの廊下で告白し、一週間後にやんわりとお断りの内容が込められた手紙を渡された。その手紙に書かれている字もとても綺麗だった。今でも見返したくなるほど綺麗なのだが、実家のどこかに紛失してしまった。

中学生になって、部活にひたすら打ち込んだ。
朝早くから夜遅くまで走り続け、ひたすら速くなることを追い続けた
クラスの雰囲気も思春期の集合的無意識のようなものが顕著で、誰も異性と話そうとしなかった
色んな人の中学生エピソードを聞くと、僕の中学の時のクラスの雰囲気は少々異常なくらいに見える
まるで、男女が話し合うことに罪でもあると思えるくらい、異性間の雰囲気は殺伐としていた
キリスト教の戒律でもそこまで厳しくないぞ

それでも、中学3年の時、僕は大恋愛をした
相手は同じ委員会に所属していた女の子
初恋の子とはどこも共通点のない子だったが、とても自分のことを理解しているように見え、周囲の雰囲気に飲まれないような芯の強さを感じた。それがとても魅力的だった
LINEで話すようになり、少しずつ話す量が増え、お互いのことを話すようになった(僕がそう仕向けたのであるが)

彼女に告白して、1回目はフラれた
その子には昔から他に好きな人がいるとのこと
とても悔しいことだったが、ここで僕は
「好きな人の幸せを願えないのは独占欲じゃないのか?」

そう思い、我欲を切り離し、その子の恋路を応援し、その子が好きな人とLINEを交換できるように段取りした

その子は淡白な感謝を僕に寄こし、その人と話し始めたようだ

しばらく、その子とは連絡を取らなくなった

しばらくして、連絡をしてきたのは、相手の方だった
やっぱり僕のことが好きであるとのこと
私のことが好きだったのに、自分の恋路を応援してくれたこと、その真摯さが響いたらしい

実際のところは分からない、けれど、僕はその言葉を素直に受け取り、喜んだ
夜遅くまでやりとりをするようになった
彼女はやりとりにおいて3~10分の間をおいて必ず返信する。その癖は今の僕にも引き継がれている

夜に僕が自転車の練習をしているとき、冷やかしに来てくれたこともあった(僕は中3までチャリに乗れなかった)

いつかの夜遅く、話をするために二人で会った
僕の家の近所の街頭の下に座り、何かについて話した
話の内容は、今となっては何も思い出せない。それほど内容がこもっていたとは思えないし、そもそも何も話していなかったのかもしれない

そろそろ帰るという流れになり、僕は彼女の家の近くまで見送りに行った
彼女の家は駅の近くにあり、僕の家は駅から15分ほど離れていた

そこそこ夜でも明るい街で、等間隔に街灯が灯っていて、その景色がなんとなく好きだった

彼女の家の近くまで来て、いよいよお別れという時、僕は彼女を誘い、固い抱擁を交わした

初めて触れる異性の暖かさ、柔らかさ
心の中から溢れ出る想いは、愛情という言葉以外では言い表せない

長かったかもしれないし、とても短かったかもしれない、現実世界と、自分に流れる時間の間には、大きな差があったと思う。

平均より小さい彼女の背丈が、そのときはとても愛らしく感じられた
ろくに怖がっているくせに、頭を撫でたりしていた

その後も彼女と関係は続き、水族館にデートに行ったりしたのだが、そこで僕は緊張のあまりデート中一言も喋らないという大失態を犯し、関係が悪化
お互いの高校が違うということもあり、ある時を境に音信不通になってしまった


・・・

これが僕の思春期の思い出、僕は緊張しいなので思春期の間はまともに異性と話せなかった。高校時代は部活が忙しいことに甘えて、恋愛、勉学、どちらも大変おざなりにしてしまった。
僕が高校時代の思い出を振り返るとき、部活のことか友達とソシャゲに明け暮れていたことしか思い出せない

女性との交流を避けたのが災いして、異性とのコミュニケーションは今でも苦労している
異性との話し方というスキルは、早いうちに習得するに越したことはない、拗らせるぞ。

思春期における体の発育は個人差はあれど、大抵勝手に終わるのでそこまで気にする必要はないのだが、内面の変化には、成長を促すための経験が必要不可欠であるように感じる。体より成長の差が人によって激しいのではないだろうか。

もしやり直せるなら、適切な思春期を過ごし、適切な青春を謳歌したいものである
しかし人はいう「青春は、誰にも手に入れることはできない」と


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