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「10年前の自分」に「10年後の自分」を伝えたら、自死していたかもしれない

 これは、ちょうど10年前の夏に撮った写真だ。

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 ボクの小説、『エブリ リトル シング』が20万部のベストセラーとなり舞台化が決定した。
 写真は、差し入れを持って稽古場を慰労したときのもので、主演の井上和香さんの後ろでピースをしているのがボクである。

 舞台『エブリ リトル シング』は、都内でも数本の指に入る大劇場、紀伊国屋サザンシアターで2週間強にわたって連日上演され、チケットは即日完売していたので、たった20枚の当日券に長蛇の列ができるほどの大成功に終わった。

 さて、そのときのボク、すなわち「10年前の自分」に、今のボク、「10年後の自分」を伝えたら、10年前の自分は決して大袈裟ではなく自死していたかもしれない。

 とまあ、実際にはこうして生きているわけだから、自死はないにせよ、受け入れがたいショックを受け、興奮してこう叫ぶだろう。
「その話、嘘でしょう! だって、本は売れてるし、舞台だって大成功。目の前に伸びてる道は、ライトに照らされたように眩し過ぎるくらい明るいじゃないか!」

 ボクの物書きのキャリアを俯瞰すると、次の5つに分類される。
『篤があつしに変わるまで』 で描いているITライターのデビュー前。

②ITライターデビューは果たしたものの、ヒット作に恵まれずに、たった一人で「moug」というサービスを運営していた時代。mougは、今は他人の手に渡り、運営には一切タッチしていない。

③(過分な評価だが)「過去10年でもっとも成功したITライター」の異名を欲しいままにしていた時代。ちなみに、この時期にボクは「VBAエキスパート」という新資格も創設した。

④2004年から一転、作家(小説家)を志し、2007年にデビュー小説『エブリ リトル シング』がベストセラーになった時代。

⑤この10年間。

 繰り返す。
「10年前の自分」に「10年後の自分」を伝えても、半狂乱になるか、もしくは鼻で笑われてまったく信用してもらえないだろう。

 まず、文字数を考えると詳細には語れないが、『エブリ リトル シング』は出版社の倒産という道をたどり、歯車が一つ外れた。
 ただし、次の作品、一転してミステリー小説の『無限ループ』が7万部売れて、歯車は正常に戻ったかに思われたが・・・。

 ここから、歯車が外れるどころか、土台から崩壊を始める。

 2冊の小説と、小説風のビジネス書1冊の計3冊で立て続けに失敗した。
 出版の世界では、重版がかからないと5年は浮かび上がれない、という言葉がある。
 そして、これは事実だ。

 ボクが新しい小説を書いて売り込もうにも、編集会議は大抵通過するが、販売会議で100%、落とされる。
 営業部が見るのは「小説の内容」ではない。直近の本の売上のみである。
 そして、「この作家は、過去3作、重版がかかっていない」ことをパソコン画面に浮かんだ無味乾燥な、なんの息吹もない「数字」のみから読み解くと、確実に「出版不可」の決断を下される。

 そこでボクは、自分が「新人」として勝負できる場を探した。
 とはいえ、日本国内にはもはやそんな場は残されていない。
 となれば、外国しかない。

 話が前後するが、前出の写真を撮った頃に、嘘みたいな話だが、原作者のボクが知らない間に、『エブリ リトル シング』が韓国で発売されていた。
 ハングル文字が読めないボクは、自宅に届いた20冊の韓国の本を見て、「なんだ、これは?」と訝んだことを今でもはっきりと記憶している。

 まあ、それはさておき、『エブリ リトル シング』は韓国でもまずまず売れたので、ボクは「新たな勝負の場」、すなわち外国で出版する本は『エブリ リトル シング』に決めた。

 このあたりの奮闘ぶりはいずれ別エピソードにまとめるとして、ボクが勝負に出たのはアメリカと中華圏(中国本土は簡体字。台湾、香港、マカオ、シンガポール、マレーシアは繁体字)であった。

 まずは、アメリカでほとんど自費出版に近い形で出版されたが、Amazon順位で100万番にも入らない惨敗。

 それでも、中国は期待していた。準備に2年をかけていたし、何よりも出版社は「中国の講談社」とも言われる最大手である。
 ところが、発売数日後に、時の民主党政権が尖閣諸島を国有化し、それに反発する大規模デモが起き、日本人作家の本は村上春樹先生の本まで含めて、すべて発売禁止になった。

 このときには、もはや怒りも失望も通り越して、なぜか笑いが止まらなかった。

 ただ一つ、これだけは明白に自覚した。
「ボクは、物書きとして生きる場を失った。もう、二度と自分の作品が世に出ることはない」

 もっとも、エクセルのマクロ言語である「VBA」に関しては、ありがたいことに、出版すればお読みくださる方々がいらっしゃったので、VBA書籍さえしっかりと書いていれば、食うには困らなかった。

 先に、ボクの物書きとしてのキャリアを5つに分類したが、約20年も経って、気付いてみれば一周して、①の状態に戻り、しかし①よりはマシになったかな、という感じである。

 あたかも、ヘーゲルが弁証法で唱えた、「万物は螺旋的に発展する」。すなわち、上から観ると同じところをグルグルと回っているが、横から観れば上にのぼっている。そんな状況である。

 さて、気付けば平成最後の夏だ。
 この夏、ボクには明るいニュースがある。
 約8年ぶりに 『マルチナ、永遠のAI。』 という小説を出版できた。
 しかも、今現在、映像化のオファーもいただいている。

 そうは言っても、地獄のような10年であったことに変わりはない。そして、それを支えてくれたのは 『篤があつしに変わるまで』 で描いた「過去の自分」である。
 苦しいときに支えになってくれるのは「過去の自分」しかいない。

 ボクが尊敬する島田紳助さんは、『紳竜の研究』の中で言っている。
「実力とは、才能×努力である」
 まさしくそのとおりだと思う。
 しかし、才能「5」の人間が「5」の努力をして「25」の力を発揮しても、「30」の逆風が吹いたら前には進めない。

 今、出版業界はとてつもない逆風が吹いている。
 もちろん、あなたに「25」の力があれば、それでも前に進めるだろう。
 しかし、ボクは「5」の努力はいとわないが、そもそも「5」の才能を持っていない。
 ボクの力など、せいぜい「2×5」で「10」くらいだろう。

 こんなボクでも、以前は「20」「30」の追い風が吹いていたので前に進むことができたが、これからの時代、「10」しか実力のない人間が前に進めるほど「出版という大海原」は甘い世界ではない。

 そんなことを考えていたら、平成最後の夏にボクは「note」というサービスに巡り合った。

 10年後の自分が今のボクに会いに来たときには、必ずやこう言わせてみせる。

「平成最後の夏にきみが頑張ったおかげで、今のボクがあるんだよ」

 蛇足だが、ボクは昭和生まれで、結婚をせずに平成を終えるかもしれない。
 まあ、平成ジャンプも悪くない。
 これも、ボクが選んだ人生だ。

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3分で読めるデビュー小説



 

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