~おいしいご飯が食べられますように~価値観とランチタイム
「心理的安全な職場」が唱えられて久しいけれど、そんな綺麗な言葉では解決できない、表面には表れない檻が職場にはたまっている。
今年の芥川賞を受賞した高瀬隼子氏の「おいしいご飯を食べられますように」を読んで苦々しい想いを抱きました。あるメーカーの地方支店の人間関係を描いています。仕事が出来ないのに要領よく甘えて皆に守られている女性と、仕事が出来るのに率直すぎて損をしている女性、飲み会や食事を一緒にすることがチームビルディングと考えている上司、そして自分の価値観が明確なのに意思を貫けず他人に同調してしまう男性、無意識にセクハラを繰り返している男性、ゴシップで周囲をあおるパートの女性、彼らの日々の会社での出来事を描いています。
仕事が出来ないことをカバーしようと一人が手作りお菓子を持ってくると、お菓子が好きでないのに大げさに喜ぶ同僚もいれば、そのお菓子を皆が帰った後ゴミ箱に捨てる同僚がいてそこから不穏な空気が広がり、結局、仕事のできる女性が職場を去り、男性社員たちは変らない。むしろ職場にさらに同化していく。「あるある」場面をよく切り取ったと感心しました。同じことではないけれど、似たような感情を持った経験は私自身にもあります。
女性活躍推進だとか、アンコンシャスバイアスだとか、アンガーマネジメントだとか、色々やっても、案外一人一人の個人的な好き嫌いや、それぞれの職場でのサバイバルの戦略のほうが勝ってしまうのが現実かも知れません。だからそんな職場を生き抜く人を「あざとい」という言葉で表現することが流行ったり、また心が疲れてしまう人がいっこうに減らないのかも知れません。
制度や研修だけでは組織は変らないのでは、人間の性だから、と無力な気持ちになりました。これが芥川賞受賞の小説のテーマなのかと思うけれど、何十年か後にはこの時代を生きる人間の姿として捉えられるのでしょう。
しかし、もう一度、人事の視点からこのストーリーを読むと、課題は最初の場面で「飯は全員で食べるのがうまい」と断言する支店長にあるのではないかと気づきます。部下の事情や感情にかまわず「俺はそばが食べたい、みんなで食いにいくぞ」で相手を引っ張っていく上司。カップラーメンを食べて早く仕事を終わらせたい人、お弁当を持ってきている人、栄養に気を付けている人、食事にこそランチタイムにこそ、一人一人の価値観があるにもかかわらず自分の思い込みを人に強要する。この無神経さが全員のやる気を失わせていることに本人は気づいていません。チームビルディングのつもりなのです。だから、問題が起こった時に本質を見ることが出来ていない。
こんな上司は、もはやいないだろうと思っていたのですが、作者の高瀬氏は30代の現役会社員です。現存する上司の姿でしょう。
最初にこの支店長の発言からこの小説は始まりますが、作者はきっとそれを見抜いているはずです。登場人物の女性たちの責任ではないというメッセージも聴こえてきました。
「おいしいご飯が食べられますように」というタイトルは、一人一人の価値観を尊重して欲しいという願いでつけられたのだろうと、納得しました。ご飯を一緒に食べる仲良しチームではなく、価値観が重視されなければ心理的安全性は確保されない。
週末の読書にお勧めしたい一冊です。
(YK)
参考図書;「おいしいご飯がたべられますように」 高瀬隼子著 講談社(または文藝春秋2022年9月号)
関連セミナー:https://omotenacism.com/seminar/2021/0129/1803/
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