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詩人になる

 詩、7編。詩集を出すなら数が要りそう。別に目指している訳ではないが。

花咲く季節

花咲く季節は植物の発情期。
蝶が舞う季節は昆虫の発情期。
鮭が川を遡る季節は魚の発情期。
そして次の季節がやってくるまでセックスレス。

花粉を飛ばしそれを受け止めるために花が咲く。
異性と出会うために蝶は生涯の最後に空を飛ぶ。
鮭が川を遡る目的はメスにもオスにもただ一つ。
そのほかの季節にはセックスロス。

人だけはだいぶ違う。

悩み

忘れようとしても、忘れられない。
振り払おうとしても、まとわりついてくる。
逃げても隠れても、律儀に追いかけてくる。
なぜか?
それが自分の大切なものだからだ。自分の一部だからだ。

では、どうすればいいのか?
「悩むこと」と「考えること」を同じものだと捉えよう。
それだけで、きちんと考えることができて、無駄に悩むことが無くなる。
悩みを避けていては、しまいに人は考えることをしなくなる。

親・偽・愛

親・偽・愛

木の上で立って見てるのが、親。
人の為と思わせぶりなのが、偽。
心をそっと受け入れるのが、愛。

「あなたのためよ」なんてごまかさないで、
子供が発する言葉を黙って聞いて首肯うなずいて、
ちょっと離れたところで見ていればいいの。

親にとってはしょせん他人事、子供本人にとっての方がよほど切実だから。
親の古いアンテナより、子供の新しいアンテナの方がずっと性能良いから。
子供に口出しするより、親は自分の成長を図ろうよ。その姿から子は学ぶ。

恋が芽生える瞬間

男女2人で単調な作業をする。
初めはおしゃべりしながら、
だんだんと静かになって、
やがて黙々と作業を進める。
お互いだんだん飽きてきて、
そのうち1人が声を出す。
この瞬間に、恋が芽生える。

自転車には野生の香り

自転車には野生の香りがある、ふとそう思った。
人間は移動スピードが非常に遅い。おそらく大きさ比でみると、哺乳類の中で最も遅いのではなかろうか。

動物であれ乗り物であれ、人間以外のものは、頭の方向に進む。
犬は頭を前にしてその方向に、ペンギンだって水の中では頭の方向に進む。人間より圧倒的に速いスピードで。
そのことは「体の長い方向に、あるいは尖った方向に進む」と言い換えてもよい。
槍や弓矢はもちろん、飛行機や船など乗り物もすべて長軸方向に進むのだ。

人間だけである。「頭の方向=長軸方向」から角度にして 90°ずれた方向に進むのは。
人間は二足歩行をするようになり、手を移動以外の目的で使うようになり、長軸方向に進めなくなってしまった。
そしてスピードを失った。 これは力学的には当然の帰結であろう。

しかし人間は自転車を発明した。自転車は野生の動きそのままに、長軸方向に進む。
自転車のおかげで人間は、自分の体の大きさと自分の筋力に見合うスピードを回復した。
自転車の良さは、野性味にある。
自転車に乗って、体を前傾してスピードを出すと、ライオンになったような気分になる。

野生のリサイクル

ライオンが獲物を捕えて、食い散らかす。その後、ハイエナが残り物をあさり、そのまま放置する。
続いてネズミや虫がやってきて、取れるものだけ取って、去る。最後には微生物が獲物を分解する。
誰もゴミ処理のことなど気にもせず、食い散らかして放置することで、自然の中でリサイクルされる。

庭の落ち葉を放っておけば豊かな生態系になるだろうに、人はせっせと掃き集めて自治体のゴミ処理に出す。
人は、カラスが生ゴミをあさることを断固として許さず、人糞を一刻も早く身辺から遠ざけることに精を出す。
自然によってリサイクルされるのを極力避けて、科学と経済の力によるリサイクルを目指しているということか。

人の社会では、一定の手続きを経ることで物を所有できる。勝手に自分の物にしたら、泥棒と呼ばれる。
使用済みの物を廃棄する際にも所定の手続きが必要で、それをしないと不法投棄もしくは近所迷惑と呼ばれる。
多くの物を所有すれば、多くのゴミが発生することは必然で、それをいかにリサイクルするかが課題になる。

ところで、野生の世界には、所有にも廃棄にもルールは無い。勝手に捕まえて、勝手に捨てる。
そうすることで、野生のリサイクルが成立する。ライオンが丁寧にゴミ処理したら、ハイエナは困るだろうな。
手続きを経なければ微生物が獲物を分解できないとしたら、みんな困っちゃうだろうな。

このリサイクルのやり方を人間社会で実践できるかどうかは怪しいが、忘れちゃいけない観点のように思う。

オレが死んだらライオンのエサにしてくれ

こんな遺書を考えた。

  オレが死んだら、遺体をライオンのエサにしてくれ。
  残ったものは虫のエサに、最後は微生物のエサにしてくれ。

ボクたちは生き物を食べている。
レストランでも家庭でも、食事でもおやつでも、ボクたちが口にしているものは、水と塩以外はすべて動植物だ。
太古の昔から現代に至るまで、どんなに科学技術が進んでも、その事情は変わらない。

きのう動物園に行って、園内のレストランで昼食をとっているときに、その考えが浮かんだ。
けれどもその場に一緒にいたのが娘とその友達だったから、いくらなんでも場違いだと思って黙っていた。
草を食う動物、肉を食う動物を見物して、その途中にボクらは草と肉を食っていた。同類である。

ボクたちは生き物を、生き物だけを食べている。
まわりに人工物があふれている中で、食べ物だけはとことん自然の産物なのである。
当たり前のこととはいえ、つい忘れそうになることでもある。そのときはたまたま動物園で思い出した。

人が死んだらその後どうなるか?
自然に帰るというのが1つの答えであるならば、ライオンのエサになるのも選択肢の1つとして悪くない。

◇      ◇      ◇

〜 言葉をつむぐ 〜 
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