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花咲く季節は植物の発情期

 男は「眠れる森の美女」(処女+健康)が、女は「白馬に乗った王子様」(経済力+身分)が好きなのには生物学的な理由があります。
 子供を作るということにおいて「量を志向しながら、質を担保する」のが男、「質を志向しながら、量を担保する」のが女、そう言えそうです。

花咲く季節は植物の発情期

花咲く季節は植物の発情期。
蝶が舞う季節は昆虫の発情期。
鮭が川を遡る季節は魚の発情期。

そして次の季節がやってくるまでセックスレス。

花粉を飛ばしそれを受け止めるために花が咲く。
異性と出会うために蝶は生涯の最後に空を飛ぶ。
鮭が川を遡る目的はメスにもオスにもただ一つ。

そのほかの季節にはセックスロス。
人だけはだいぶ違う。

じぃさんにとっての孫とばぁさんにとっての孫

 男にとっては自分の遺伝子を引き継ぐ者はみんな子供みたいなもの。だから孫ができるとただただうれしい。
 女にとっては自分のお腹から産んだ者だけが自分の子供。だから孫はしょせん他所の子。どうもそういうことらしい。

 男は理論上はいくらでも自分の子供を作れる。だから、なるべく多くの子供を残そうと行動する。でも実際にどれだけ自分の子供を作れるかは、男にはどうにもできない。鍵は女が握っている。
 女が産める子供の数は限られている。だから、できるだけ健全な子供を産み、しっかり育てたいと思う。だから慎重に男を選ぶ。たくさん産むことより、良い子を産み育てたいと願う。言い寄る男の処遇は、女が決める。

 こうして見ると、子供を作るということにおいて「量を志向しながら、質を担保する」のが男、「質を志向しながら、量を担保する」のが女、そういうことなのかもしれないな。
 そしてそう考えると、孫ができてやけにデレデレしているじぃさんと「それがどうした?」みたいな冷めた顔をしているばぁさんの違いが納得できるような気がする。

男はなぜスケべなのか?

 男にとっては、その子が本当に自分の子供かということについて、実は確信がない。信じるとか疑うとかそういう問題ではなくて、自分の子供だとそう思い込むしかない。
 一方、女にとっては、自分のお腹から産んだものだから、間違いなく自分の子供である。父親が誰であろうと、その子が自分の子供であることは疑いようがない。
 だから、男にはイマジネーションが要る。女にはイマジネーションは要らない。女にとってはリアルな体験があるからそれで十分なのに対して、男はイマジネーションを働かせることしかできない。
 だから男は、生まれてきた子供に対してだけでなく、一連の流れのあらゆる段階で、やけにイマジネーション豊かなのだ。それが必然である。男がスケベであるとは、つまりそういうことだ。

◇      ◇      ◇

女と男の心理学 〜 
▷ 女の脳 と 男の脳   + 恋が芽生える瞬間
▷ 花咲く季節  + 女が男を野に放った 
( ▷ かぐや姫の結婚の条件 )        

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