悩むこと、考えること
忘れようとしても、忘れられない。
振り払おうとしても、まとわりついてくる。
逃げても隠れても、律儀に追いかけてくる。
なぜか?
それが自分の大切なものだからだ。自分の一部だからだ。
では、どうすればいいのか?
「悩むこと」と「考えること」を同じものだと捉えよう。
それだけで、きちんと考えることができて、無駄に悩むことが無くなる。
悩みを避けていては、しまいに人は考えることをしなくなる。
悩みはなぜ悩みなのか?
ボクは次のように考えていたのである。
そしてあれこれ考えるうちに、
と考えたのである。ところで考えてみると、
なんじゃないかと思った。というのは、
だろうからである。そこで、ちょっと考え方を変えてみた。
と。つまり、この問いを 正誤の問題 ではなく、意思の問題 と捉えたのだ。 そうしたら、答えが見えた。
こんな単純な問題だった。それだけで、きちんと考えることができて、無駄に悩むことが無くなるのである。
疑問は解答の可能性である
◇ 直感 = 瞬時に下した総合的判断
自分の中には、これまでの無数の経験が蓄積している。そのうち意識されているものはホンの一部にすぎない。ほとんどは無意識のまま存在している。
何かの折に、何かに反応して、それが外に現れる。たくさんのものが結びついて、瞬時に現れ出る。それが直感である。
直感とはたんなる感想ではない。それは無意識が「瞬時に下した総合的判断」である。
◇ 疑問 = 無意識が発するシグナル
「あれっ?」と思ったとき、実は何かに気づいている。それをはっきりと認識できていなくても。
「何かおかしいぞ」と思ったとき、実は何かをつかんでいる。それを明確に表現することはできなくても。
自分の中に無限に蓄積している無意識が、何かをキャッチして発するシグナル、それが疑問である。あるいは悩み・違和感といってもいい。それらすべて「何かをキャッチした」ことの現れである。
◇ 疑問 = 解答のきっかけ・可能性
疑問があるから答えがある。疑問を持つことは、答えに行き着く(ちょっと/だいぶ)手前にいるということ。
疑問のないところに答えはない。疑問を持たないことは(その時点で)それに対して答える能力がないってこと。
わかっているから疑問を持たないのではない。わかろうとする意思・能力がないから疑問を持たないのだ。
わからないから疑問を持つのではない。意識できないながらも「何かがわかった」から、疑問を持ったのである。
「考えることに価値がある」という確信
優秀なビジネスマンになるための条件、成果を出すリーダーの条件は
があること。「根拠のない確信」であってもいい。けれども「揺るぎない確信」でなければならない。いわば「信仰にも似た確信」である。
いつでも結果に向かってまっしぐらに考えられるわけではない。むしろ多くの時間は堂々巡りに費やされる。疑問や悩みという形で現れることも多い。それらをひっくるめて、
を持てるかどうかが、優秀なビジネスマンになれるかどうか、成果を出すリーダーになれるかどうかの分かれ目だ。
その確信があれば、考えることが楽しくなる。習慣になる。そして、考えることが上手くなる。
考えることを止めようという誘惑は多い。「早く結果を出したい」「他の人に分かってもらえない」などなど。だから、その確信が無ければ、突き詰めて考えることをしなくなる。そして次第に考えないようになる。
自分の考えは、自分のものだ。だから、みんな違う。同じ課題を考えたとしても、同じテーマに取り組んだとしても、誰一人として同じ考えは無い。そこで、議論が始まる。
があれば、そこに多様性を見る。そして議論が豊かになる。その確信が無ければ、そこに対立だけを見る。そして勝ち負けの争いが始まる。もしくは争いを避けて、ただ同調する。
◇ ◇ ◇
〜 裏返すと見えてくる 〜
▷ 肯定形でしゃべろう
▷ 数学嫌いは「好き」の裏返し
▷ やりたくないこと、なりたくないもの探し
▷ 逆転の発想
▷ 悩むこと、考えること
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?