地震・津波は経済問題として、原発は倫理問題として語れ
建物を建てるときにどの程度の耐震構造にするかは、費用と効果を比較して判断すればいい。津波が襲ってこない高台に住むか、生活しやすい海岸線に住むかは、リスクと利便を比較して判断すればいい。防潮堤を作るか作らないか、高さを何mにするかという問題も同じである。
その際、科学が答えを導くわけではない。科学は判断のための材料の1つ にすぎない。いずれも、各自(個人・企業・自治体)が損得勘定で決めればいいことだ。ここでいう「損」とは、それに要するお金だけでなく、リスクや不便さも含む。「得」とは、利便や安心・安全も含む。それらをひっくるめて天秤にかけるしかない。その意味で、これは経済の問題なのである。
そして、各自がそれぞれの判断で決めるということは、その結果についても自分で責任を負うということだ。家を流されても家族が亡くなっても、自分で対処するのが基本的な姿勢だろう。
「原発の安全性を高めるにはどうすればいいか?」、「放射線被ばくによってどの程度の健康被害が出るか?」についての科学的知見を深めることは大事だが、科学は「原発をどうするか?」の答えを与えてはくれない。利便性(電力の安定供給など)とリスク(事故が起きた場合の損失など)を天秤にかけるのも的外れだ。
考えるべきポイントは別のところにある。「放射性廃棄物を管理する負担とリスクを後の世代(数万年に及ぶだろう)に負わせてよいのか?」「長期にわたって(場合によっては半永久的に)人が住めなくなるリスクを冒してまで原発をやるのか?」。そういう倫理の問題である。
「原発の安全性、放射能の影響」の議論は「科学論」、「電力供給、温暖化対策」の議論は「経済論」。いずれも参考資料にはなるが、倫理を抜きにしてそれらの間を行ったり来たりしても何にもならない。
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〜 保険の損得 〜
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