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「病気」「理解されない」と検索しなきゃいけない社会

あなたは自分の病気を周りに理解されず、苦しんだことがありますか。

ー自分の病気を会社の上司に話す際、病名を言うのが憚られる。ー
例えば、「片頭痛」。実際は半端なく頭が痛く寝たきりになってしまうほどの症状があるのにも関わらず、なんとなく、「片頭痛だから休みます」と言いづらい。

ー患者にとって心の拠り所にしたい対象である病院・医師に、病気の辛さを理解されない。ー
例えば、具体的な症状を聞く前にCT画像だけをみて「手術が適応ですね」と伝えられて終わり。自分の辛い症状は理解されず、診断書もなかなか書いてもらえない。(医師の労働の観点から、事務作業である「診断書」を、優先度高く対応できないという状況もあるが。)

ーネットで自分の病気を検索してみると、自分の症状とは違うことが書かれている。ー

「人に理解されない」という状況に陥ると、その不条理に耐えられなくなり、そして、検索欄で「理解されない」と打ち込んだ後には、気づいたら、【自分の病気を証明してくれるような客観的な証拠を必死に探そうとしている。】

確かに自分の状況を正確に理解されたいと思うのなら、証拠や根拠を集めるというのもわかりやすい一つの策かもしれない。でも、本当にそれが正解だろうか?

まだ知見の少ない病気に悩まされている人は、ネットでも証拠がない。
病に苦しむ人は、ネットにある症状よりも、もっと辛い症状があるのに、証拠がない。

病院・医師も同じ話。所詮他人なのだから、自分の症状を完璧に理解・判断してくれるなんてことはない。

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ここで思うのは、
【自分の病気を証明してくれるような証拠を探す努力を、本来はする必要はない】【その人自身が感じている苦しみが存在している限り、周りの人間は、その人の病気や症状、辛さを、ジャッジする権利はない。】
【苦しい人も、もっと堂々としてていい】
ということだ。
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もしこれが叶えば、病気を抱える人が、ビクビクしたり、自分を正当化する証拠集めをしたりする必要もなく、自分の意志、ないしは自分自身をより尊重することができる社会になると思う。このことは、健康な人にとっても、優しい社会を作ることにつながると思う。

みなさんはどう考えますか?

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