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国語は好きだけど得意じゃない人って多いよね?

小さい頃から、国語という教科は好きだけど、得意ではなかった


特に好きなのは漢字の学習で、みんなが嫌がる漢字ドリルや漢字練習を喜んでやっていた。

意味調べが好きで、兄の分まで意味調べをやっちゃうくらい国語辞典を引いていた。


物語を読むのも好きで、小学校高学年は毎週末大きい図書館に連れて行ってもらって、週に何冊も小説を読んでいた。(児童書だけど)

青い鳥文庫大好きだったね。懐かしいね。

どれも最新刊まで読んでしまうからどんどん新しいシリーズ借りてたなぁ、、


それは置いといて。

お話を読むのが好きだから、国語の授業が苦じゃない。苦じゃないから、ちゃんと授業を聞くし、理解もできるって感じで、まあ成績は悪くなかった。


でも、読解って、できないんだよね。

私は大学で主に国語を教える塾講師をしていたのだけど、
その時も中学生のある女の子が「国語は好きだけど得意じゃない」って言ってるのを聞いて、密かに(一緒だ!)と思った。

(わたしも得意じゃないよって言うとない威厳がもっとなくなっちゃうから言えないけど)


だから勝手にこういう「好きだけど得意じゃない人」、多いんじゃないかな〜〜?って思っている。


この理由を考えたことがある。

私は本を読むのが好きだ。

でも本は一人の世界だ。

だから一人で読んで、ふんふんなるほど、えーっそうなっちゃうの、わーよかった、みたいな感じで、勝手に解釈して、勝手に読めたと思って、完結してしまう。

他の人と
「ここの場面ってこういうことだよね?」
というすり合わせなんてしなかったし、

「この本のあらすじがこうでね、ここがこう面白くてね…」
という説明もしなかった。

これが原因だと思う。

おかげで読解力や説明能力は何処かに行ってしまわれた。


小説を読む上では、どんなにおかしな解釈をしても、誰にも責められることはない。
もちろん筆者は意図を持って書いていることが多いだろうけど、百人百様の解釈を認めてくれている。
詩なんかはもっと解釈が自由だ。


一方国語という教科では、小説を読むのとは違って、筆者の意図を正確に把握したり、出題者の考え方通りに捉えてあげる必要がある。


本好きって、一人の世界に浸るのが好きな人が多いから、読解力や説明能力が育たずに「国語は好きだけど得意ではない」ということになるんじゃないだろうか。



先程塾講師をしていたと言ったが、未だに中学レベルの問題も間違えたりする。

一方私は大学で国文科に入学している。
未だにまあ国語が好きだということだ。

(ちなみに国語の成績は並だが古文が得意だったので入れたようなものだ)

ただ、文学にはどうしても深い興味は湧いてこなかった。

入学当時から文学を研究するつもりはなく、日本語学がやりたくて入ったのだが、

卒論でも日本語学のゼミに入った。


思ったのは、


わたしの人生、一貫してる〜〜!


ってこと。

たぶん、
日本語の言語的なところは好きで、
ことばに興味はあるし、
物語を読むのはすきだけど、
文学の解釈は全然興味ない。

というのが物心ついた頃からずっとそう。


英語も言語じゃんって思う人いるかもしれないけど、
英語はあくまで読んだり書いたり、つまり使えるようになること、実用的なことが目的であって、ことばを学んでいたわけじゃないと思うんだよね。


というわけで読解力と説明能力を鍛えていきたいと思います。

一人で勝手に完結する型の小説好きに共通して言えるだろう能力は、


共感力


ですかね

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