久米島先生のこと

小学校の先生で一番印象に残っている先生は誰かと聞かれたら、僕は久米島先生と答えるだろう。
たぶん、同級生でも同じ意見の人が多いのではないだろうか?


久米島先生は僕が4年生の時の担任で、20代後半の運動好きな男の先生だった。

黒縁のメガネをかけ、いつもアディダスのオレンジジャージを着ていて、朝の運動場まわりでは率先して走っていた。
声は大きいが、生徒を上から見るのではなく、同じ目線で話してくれるのが印象的だった。


授業以外の時間は、率先して生徒の輪の中に入って僕らを楽しませてくれた。
昼休みのドッヂボールでは、必ず弱そうな方のチームに入り、敵チームの内野を次々と当てまくった。
味方チームのメンバーは爽快だったし、敵チームは負けじと作戦を練った。

特に先生はフェイント投法が得意だった。
狙おうとしている相手を見据えながらまったく違う方向に投げて、油断している生徒を撃墜するのだ。

僕らもその投げ方をすぐに習得し、ドッヂボールのレベルが格段に上がったのを記憶している。
そして、フェイント返しで先生の撃墜に成功すると大いに盛り上がった。

敵チームになった時の先生は、まさにラスボス的存在だったのだ。


そうそう、ゾンビ鬼もめちゃめちゃ盛り上がった。

体育授業の最後の10分間で行なうのだが、まず先生が鬼になる。
10秒数えたらスタートだ。

クラス全員が蜘蛛の子を散らしたように逃げ回る中、先生は猛ダッシュでタッチしていく。朝の運動場回りで鍛えた脚力がハンパなかった。

タッチされた子は帽子を裏返して鬼の仲間となる。そして他の子を追いかけはじめる。つまり、次々と鬼が増えていくのだ。

最終的には全員が鬼になるのだが、その状況下でどれだけ捕まらないでいられるかがこの遊びの醍醐味である。

ただひたすら逃げ回る子。
木の陰に隠れて、見つからないようにしている子。
数人でチームを組み、鬼をかく乱させようとする策士たち。
それぞれが考えて、鬼にならない方法を模索した。

全員が捕まる頃には、みんな汗だくである。
冬でも湯気が立つほど体がホッカホッカに温まった。


また、学芸会のクラス劇では先生は演出家として活躍した。
コントをちりばめた「力太郎」を上演し父兄を大爆笑させた。

雪が積もった日の1時間目は、雪遊びの特別授業を行なうのが通例だった。
それぞれが、雪だるまやかまくらを作って遊び、最後にみんなで雪合戦をして締めくくった。

僕らにとっては、当時テレビで放送していた「熱中時代」の水谷豊が演じた先生のような存在だった。


そんな楽しい先生でも、叱る時はあった。

ある日の放課後、僕を含めた男子6人が理科室に呼び出された。
何事だろうといぶかしげな僕らに向かって、先生は真剣な顔で口を開いた。
「お前たち、鮎原さんのことを動物のあだ名で呼んでいるって本当か?」


鮎原さんというのは、色白で眼鏡をかけたおとなしい女子のことだ。
夏でも長袖を着ていて、髪の毛は脱色したような薄茶色、瞳も青みがかっていてちょっと不思議な存在だった。

僕ら6人は彼女の席の近くだった。
給食の時は同じ班か、隣の班で一緒に食事をしていた。

彼女は給食を食べるのがとても遅かった。
厚底のメガネをかけ、猫背の姿勢でゆっくりとパンを食べている様子は、まるで草食動物のように見えた。

その姿を見た僕らは、いつの頃からか彼女を「白やぎ」と呼び始めた。
誰が最初に言い出したかは忘れたが、色白の彼女にピッタリだとすぐに定着した。
小学生は時に残酷である。


先生が言っているのはその事だった。
後から知ったことだが、鮎原さんと仲の良い米谷さんが先生に報告したそうである。
僕らのいない所で、鮎原さんが泣いているのを目にしたからだった。


僕らから事実関係を確認すると、先生は静かに話し始めた。

「鮎原さんは、体の色を作り出す色素という物質が少しだけ薄い体質なんだ。そうすると、肌の色は白くなり、髪や目の色も薄くなる。
でもそれ以外は、君たちと変わらない小学生だ」

そう言って、先生は僕ら全員の顔を見まわした。

「世界には黒い肌の人もいるし、金髪や赤茶色の髪の毛の人もいる。
それに歳を取れば、誰でも髪が白くなる。
その違いはどれが優れていて、どれが劣っているという事とは関係ない」

「自分たちとの違いだけを取り上げて、その人を傷つけるような言葉を使うのはどうなんだろうか?」


先生に聞かれるが、僕らは何も言えずに黙っている。
その沈黙をしばらくの間確認していた先生は、今度は僕だけに尋ねた。

「テツ、お前はどう思う?」

僕はもじもじと下を向いていたのだが、先生の言葉で顔を上げる。
先生の白目の部分が、心なしか赤くなっている。

僕はすぐにまた下を向いて答えた。
「いけない事だと思います」

「人と話す時は、目を見て話しなさい」
先生は静かだが、はっきりとした口調でそう言った。

僕は顔を上げて、先生の目を見た。そしてさっきより大きな声で答えた。
「いけないことだと思います」

「みんなはどう思う?」そう尋ねると、皆も顔を上げて同じように答えた。


それから僕らはクラスに戻り、教室にふたりだけ残っていた鮎原さんと米谷さんに謝罪の言葉をかけた。

鮎原さんは下を向いて、黙って聞いていた。
その代わりに米谷さんが、僕らに声をかける。

「あんたたち、本当にそう思っている?
本当に心から謝罪している?
うわべだけ取り繕っても承知しないからね。
今度こんなことがあったら、あんたたちの親にも言ってやるから!」

僕らは威勢のいい彼女に圧倒されながらも、本当に申し訳ないと思っていると繰り返した。



理科室を出る前に先生は、こんなことを話してくれた。
「恐らくお前たちに悪気はなかったんだと思う。
でもな、何気なくかけた言葉が、思いもせず相手を傷つけることもあるんだ。そのことだけは覚えておきなさい」

そして、そういったことが起こらないための方法を教えてくれた。
「目をつぶってごらん。そして、自分のことを上から見てる様を想像するんだ。ちょうど幽体離脱みたいな状態だな。
そうしたら、下の自分の行動を常に見守るんだ。間違ったことをしそうになったら、上の自分が止められるように…」

それからは、少しだけ自分を客観視することができるようになった気がする。



その事があって1ヶ月程たったある日、僕は国語のテストで100点を取った。国語は得意だったのだ。

答案を返す時に先生が
「テツは成績もいいし、走るのも速いのに何でモテないのかな」
と冗談を言ってきた。

僕はすかさずこう言ってやった。
「そうですよね。先生も生徒にはとても人気があるのに、世の女性たちからは総スカンですものね。本当に見る目がないですよね」

先生は少し驚いた顔をしていたが、すぐに「言ってくれるな」とコツンと僕の頭を小突いた。
でも、その顔は嬉しそうだった。



僕が大人になってから、久米島先生は隣町の小学校で校長先生になったと風の便りに聞いた。
さすがに校長ともなると、オレンジ色のジャージは着ていられないだろう。それだけが残念である。
あのジャージは久米島先生にとても似合っていたから。

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