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「葬送のフリーレン」に学ぶ、昔話でイキることのヤバさを知るのが良い。

マンガ大賞をご存知だろうか?

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(公式ロゴ:『マンガ大賞』公式HPより引用)

マンガ大賞(まんがたいしょう、英題:Cartoon grand prize)は、マンガ大賞実行委員会によって主催される漫画賞である。友達に勧めたくなる漫画を選ぶことをコンセプトにしている。発起人はニッポン放送アナウンサーの吉田尚記。2008年3月末に第1回マンガ大賞が発表された。

『マンガ大賞』Wikipediaより引用


本屋さんのポップなどで、名前や存在は知っている方も多いと思う。

選考年の前年に出版された単行本の最大巻数が8巻までに限定された作品を対象に、非営利を目的とした実行委員会によって、面白い・誰かに勧めたい漫画が選ばれている。


漫画の賞レースは多い。手塚賞や赤塚賞のように新人漫画家を対象としたもの、講談社漫画賞のように既に出版された作品を対象としたものなど、様々である。

ただ、これらの賞レースは主催が出版社のため、「どうせこれから売り出したい漫画が選ばれているんだろ」といったゲスの勘ぐりが止まらず、正直興味を持つことはなかった。


それゆえに、非営利の実行委員会が選定するマンガ大賞を知った時は「おっ!素晴らしい!」とひとりで盛り上がった。

あるべき賞の姿だなと素直に感心したし、お金にならないのに暇な人もいるもんだなぁと、世の中に一定数いる真摯な人に思いを馳せた。


私のようなコンテンツを消費するだけの一般大衆は、分かりやすい益や不利益が見えない限り、行動を起こすことをめったにしない。それゆえ、自ら行動を起こし大衆に益をもたらす人には、感謝の気持ちしかない。

顔も知らない優れた人が生み出す甘い汁を吸って生きている限り、感謝の気持を忘れないことこそが、初心に帰る唯一の道標なのだ。

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(感謝するぜ:『HUNTER×HUNTER』28巻より引用 富樫義博著)


ただ大賞受賞作がアニメ化や実写化につながる事が多い昨今の影響力を考慮すると、案外表に出来ないお金が生まれている気がしないでもないが…。まぁ、楽して面白い漫画の情報を得ることが出来ているので、細かいことは気にしないのがWin-Winということにしよう。


そう、個人的にマンガ大賞で紹介される漫画は当たりが多い。

ひょっとしたら、ハズレが少ないと書いたほうが正しいかもしれないが、少なくともクソつまらないなぁと思う漫画が選ばれていることはない。とても優秀な賞だ。

今回紹介する『葬送のフリーレン』は第14回マンガ大賞を受賞した作品である。



含蓄のある話が多い

『葬送のフリーレン』はファンタジー漫画であるが、分かりやすい敵を倒すような冒険ファンタジーではない。異世界転生モノが流行った影響か、物語を王道から少し外れた視点から描く手法は、もはや令和の主流になりつつある。

魔王を倒して王都に凱旋した勇者ヒンメル、僧侶ハイター、戦士アイゼン、魔法使いフリーレンの勇者パーティ4人。10年間もの旅路を終え、感慨にふける彼らだが、1000年は軽く生きる長命種のエルフであるフリーレンにとっては、その旅はとても短いものであった。

『葬送のフリーレン』Wikipediaより引用


上記概要の通り、魔王を倒して世界平和を実現したシーンから始まる後日譚こそが『葬送のフリーレン』である。

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(10年の旅の終わり、そして始まり:『葬送のフリーレン』1巻より引用 原作 山田鐘人 / 作画 アベツカサ)


旅を終えた4人の勇者パーティはそれぞれの人生を生きることになるが、エルフのフリーレンと、人間やドワーフである仲間との時間間隔は大きく異なる。フリーレンは「たまには顔を見せる」と魔法収集の旅にひとり赴くが、パーティと再開したのは、解散から50年が経った後であった。

人間やドワーフにとって50年は短くない。勇者ヒンメルをはじめ、パーティの皆は老いぼれ、そこにかつての姿はなかった。

それでも再開の時を祝った4人であったが、その後ヒンメルは天寿を全うし、この世を去ってしまう。フリーレンはこの時、初めて悲しみを知る。


誰しもが死は避けられない。民衆に救いの道を示したイエスやゴータマ・シッダッタ(仏陀)でさえ、死の運命からは逃れられていない。「誰もが死ぬ」は知らぬ人がいない知識であるが、身近な人を通じてこれを体感した時、ヒトは言葉にできない感情と直面することになる。

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(知識と体感の違い:『葬送のフリーレン』1巻より引用 原作 山田鐘人 / 作画 アベツカサ)


すこしだけ私の経験を話したい。

社会人になって間もない頃、中学の友人の葬式に参加したことがあった。最後に会ったのは成人式。式典が終わった後、同窓会的な飲み会は早々に切り上げて、彼も含めた気の合う4人と徹夜で麻雀をした。

葬式にはその時麻雀をした残りの3人で参加した。移動の車内も、昼飯時も、式場で彼の顔を見た時も、涙は出なかったことを覚えている。その夜、なんとなく家に帰る気になれず、3人で麻雀をすることになった。結局その日も徹夜だった。

翌朝、徹夜明けの友人から写真を渡された。写真は「記念に」と成人式の日になんとなく撮ったもので、ひどい顔をして麻雀に勤しむ4人が写っていた。私は写真を撮ったことすら忘れていたが、写真の中にはまだ元気だった彼も確かにいた。

礼を言ってひとり帰る道中、私は写真を見ながら若くして逝った彼のことを恨み、そして悲しみに暮れた。


作中のフリーレンが当時の私と同じような気持ちであったとは思わないし、仮に夫婦のような近い関係であっても、経験から生まれる感情が全く同じなんてことはありえないと私は思っている。

ただフリーレンの姿を通じて、当時の気持ちを思い出したことは事実だ。『葬送のフリーレン』は読後になにか小さなきっかけを与えてくれるような含蓄のある話しが多く、文句なしの良作と言える。


・・・などと色々書いたが、要はバチクソに面白かった。

これが週刊壮年サンデーで連載中というから驚きだ。サンデーをあだち充を失ったコナンの雑誌と舐め腐っていると、定期的にこのようなカウンターパンチを喰らうことになるので、その度にお詫び申し上げたくなる。

連載開始が20年4月なので、既刊4巻とまだ間に合う。いまならサンデーうぇぶりで数話無料で読めるので、琴線に触れた人は迷わず購入されると良い。



人を殺す魔法との対峙

どの話も良いのだが、今回は特に思うところがあった「第5話 人を殺す魔法」について語りたい。ざっくりとした内容を以下にまとめる。

・80年前に勇者ヒンメルと共に封印した魔族を討伐しに行くフリーレン
・その魔族が使う魔法「ゾルトラーク(人を殺す魔法)」は防御魔法を貫通する凶悪さ
・当時のフリーレンらは太刀打ちできず、なんとか封印するに留まった
・にもかかわらず、フリーレンは若き弟子との2人だけで討伐に挑む


結論から言うと、フリーレンらは実にあっさりと魔族の討伐を達成する。それはもうあっさりと・・・具体的に言うと一撃で討伐した。

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(雑魚かな?:『葬送のフリーレン』1巻より引用 原作 山田鐘人 / 作画 アベツカサ)


『葬送のフリーレン』の世界観には、「精神と時の部屋」や「もうどうなってもいい覚悟」や「両面宿儺の指」があるわけではないので、フリーレンが劇的なパワーアップをしたとか、弟子が長男だからなんとかなったとかではない。(だいたい、長男だからなんとかなることなんて無い)

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(長男だから我慢できるのは大正時代まで:『鬼滅の刃』3巻より引用 吾峠呼世晴著)


では何故フリーレンらは「人を殺す魔法」を使う魔族を圧倒したのか。その理由を読んだ時に、私はある2つの業界のことを思った。

その業界とは、将棋とRTAである。



研鑽の先にあったもの

私は将棋界について、全く詳しくない。一応ルールは把握しているが、誰かに勝った記憶もないし、そもそも将棋を指す機会が皆無だ。

ただ近年の藤井聡太さんの活躍はニュース等で目にするし、羽生善治さんの逸話は面白いものが多い。なんとか簡単に将棋の知識を身につけてインテリぶれる方法はないかと思い、この間読んだのが『教養としての将棋』という新書だ。


余談だが、noteを始めたおかげで、最近は行動経済学やおっぱいの歴史など比較的骨太な本を読むことが多くなった。今回久しぶりに新書を読んだのだが、めちゃくちゃ早く読み終わった。

骨太な本ばかり読むと疲れちゃうので、新書や小説を並行して読むと、気分転換になって良いかもしれない。

Tips!:おっぱいの歴史本を読む時は新書と並行すると疲れない



『教養としての将棋』の中で、羽生善治さんと哲学者の梅原猛さんの対談が掲載されていたのだが、その中で羽生さんがとても興味深いコメントをしていた。

いまのプロ将棋界では基本的に、独創的なことをやろうとすると非常にリスクが大きいんです。(中略)升田先生がよく色紙に書かれた「新手一生」という言葉は新手を一生追求していくという意味ですが、それをもじって「新手一勝」なんていわれています。新手で勝てるのは一回だけだと(笑)。

『教養としての将棋』より引用 講談社現代新書


ここで話題に上がった升田先生とは、升田幸三(1918〜1991年没)のことである。

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(自宅の居間でジャンプする升田幸三:朝日新聞DIGITALより引用)


升田幸三は将棋棋士であり、将棋界初の三冠(名人・王将・九段)制覇を成し遂げた人物である。上記写真やエピソードから、だいぶエキセントリックな人物と察する。それゆえにファンも多い。

興味が湧いた人は一度、升田のWikipediaエピソード欄を参照されると良い。これぞ昭和初期だなというエピソードばかりでニヤニヤできる。特にGHQから呼び出され「チェスと違い、将棋では取った駒を自分の持ち駒として使う。これは捕虜虐待である」と難癖をつけられた際の反論が見事だ。是非。


先の引用にもあったが「新手一生」を信念に掲げており、常識に囚われない升田の戦略は多くのイノベーションを起こした。

特に、常勝不敗のライバル・大山康晴との名人戦第2局で披露した「升田式石田流」は、当時タブーとされる角交換を行う驚きの戦法であり、駒組みの分かりやすさもあって、アマチュアで大流行したそうだ。

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(升田式石田流:『石田流』Wikipediaより引用)


多くのイノベーティブな新手によって、升田は強豪ひしめく将棋界にて通算成績544勝376敗という驚異的な数字を残し引退した。「新手一生」の信念を、その見事な成績にて実証したと言える。

しかし現代では「新手一勝」、つまり誰もが思いつかない有効な手を実践しても、一度しか勝つことが出来ないという。なぜか?その答えはテクノロジーの進化にある。


『教養としての将棋』では、将棋界に多大な影響を及ぼしたテクノロジーを、下記の4つに大別している。

①棋譜データベース化
②インターネット対局
③公式戦のインターネット中継
④コンピュータの将棋ソフト

『教養としての将棋』より引用 講談社現代新書


ネットの普及によって検索の利便性が劇的に向上し、また情報をリアルタイムに得ることが可能となったため、新手を含む斬新な戦略は凄まじい速度で対策が講じられるようになった。

そして最も将棋の姿を変えたのが、コンピュータの将棋ソフトの存在だ。

現在では、将棋ソフトはプロ棋士よりも圧倒的に強い。トップ棋士がソフト相手に飛車落ちのハンディをもらったとしても勝つことが難しいくらい、すでにソフトは人間が届かない域に達している。

そうなると、棋士たちもソフトの活用方法が変わってくる。かつてはソフトを練習相手として活用していたが、今は課題となっている局面や自分の対応の是非をソフトに解析させることが主流となっている。


このような状況下では新手を生み出すメリットがない。新手が出たという情報は、ネットを介してまたたく間に認知され、その良し悪しと対策がソフトによって人智の及ばないレベルで解析されるためだ。

命を削って新しい戦法の開発を開発しても成績に繋がりにくい現代では、棋士たちは新手開発よりも序盤の研究に重きをおくように変化した。



ホットプレートの先にあったもの

もう一つの話題は、将棋とはガラリと変わってRTAだ。RTAとはReal Time Attackの略で、ゲームスタートからクリアまでの実時間の短さを競う競技のことを表している。

取り扱うゲームは様々で、スーパーマリオやロックマンのような横スクロール型のアクションゲームから、ドラゴンクエストやファイナルファンタジー、ポケットモンスターのようなRPGまで様々である。


RTAについても私は特別詳しい訳ではない。

さらに言えば『教養としてのRTA』みたいな本も無いので、なかなか領域理解が及ばない点をご容赦頂きたい。文句がある人はRTA関連本を出さない講談社現代新書に言って頂けると幸いだ。


さて、今回話題にするゲームは『ドラゴンクエストⅢ』だ。

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(そして伝説へ…:『ドラゴンクエストⅢ』SQUARE ENIX HPより引用)


もちろん私もプレイしたことがある。ファミコン版はプレイ時間が表示されないので、私がどれくらいクリアに時間を費やしたのかは分からないが、標準的なクリア時間は25〜35時間だそうだ(参考)。

ところがRTA界のクリアタイムは次元が違う。2020年12月に開催された、RTA in JAPAN 2020で記録されたクリアタイムは22分7秒だ。


驚くのはまだ早い。このクリアタイムは「電源ON/OFFバグ」というバグ技によって、意図的にゲームデータを崩壊することで導き出されているのだが、このバグ技によって生成されるデータはファミコン本体の温度と密接に関係している。

そのため、温度管理の手法としてホットプレートにファミコンを置くことで対応がされているのだ


何がなんだかわからない世界であるが、RTAプレイヤーが管理温度と時間の2軸で賢者と遊び人の発生率を検証している様子を見て、その道を行く人はみな真摯なのだと感心した。



しかし進化は止まらない。

2021年4月現在、ドラクエⅢクリアの最速タイムは4分1秒と大幅に更新されている。

(世界は4分で救える:『(世界記録) FC版ドラゴンクエスト3 なんでもありRTA 04:01 カセット差し替え 任意コード実行 デュアルマシン 電撃イベント飛ばし メッセージスキップ ピロ彦新チャート』より引用)


動画を見ても何が行われているか分からないが、電源ON/OFFバグと途中で別のゲームにソフトを差し替えるという、書いてみても結局よく分からないバグ技によって、偉大な記録は達成されていた。

ちなみに使用している差し替えソフトは、Dr. MARIO, 星のカービィ夢の泉の物語,ファイナルファンタジーである。友達から借りたドラクエⅢを10分後に返さないといけない時に使える有効な知識なので、是非覚えておくと良い。

Tips!:ドラクエⅢを最速でクリアするには、Dr. MARIOと星のカービィとFFのソフトが必要



一人の天才と進化する民衆

話しを『葬送のフリーレン』に戻そう。

フリーレンらは、80年前に倒すことが出来なかった「ゾルトラーク(人を殺す魔法)」を使う魔族を、あっさり討伐することが出来た。なぜか?注目すべきは、80年の歳月が経っているというところだ。


対峙した魔法使いの7割を殺した「ゾルトラーク」は、その凶悪さゆえに多くの魔法使いの注目を集め、その対応策が研究の対象となった。

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(興味を惹く凶悪さ:『葬送のフリーレン』より引用 原作 山田鐘人 / 作画 アベツカサ)


対応策が確立されるとともに「ゾルトラーク」は人を殺す魔法ではなくなり、次第に一般攻撃魔法と呼ばれるに至る。嘗ての脅威は脅威でなくなり、時代に取り残された魔族は、抵抗も虚しくこの世を去ることとなった。


私が特にこの話を示唆に富むなと感じた点は、「ゾルトラーク」を使う魔族の姿にあった。

フリーレンとその弟子に「ゾルトラーク」を防がれた直後、魔族は防御魔法の魔力消費が大きいという弱点に瞬時に気づき、防御魔法を複数展開せざるを得ない状況に攻撃方法を変更する有能ぶりを見せつけた。

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(ゾルトラークの多方向展開:『葬送のフリーレン』より引用 原作 山田鐘人 / 作画 アベツカサ)


結局はその戦略も研究済みだったため、あっさり対応されてしまったのだが、ほぼ無敵を誇った戦術に早々に見切りをつけ、別の戦術に切り替える方針変更を判断できた彼は、紛れもない天才であった。

しかし、その天才は80年前の天才で、80年間の研究成果には敵わない。一片の物悲しさと技術進展の凄さを感じた。



まとめ

『葬送のフリーレン』に登場した「人を殺す魔法」をきっかけに、将棋界とRTA界の技術進化を振り返った。

進化のきっかけを生み出したのは、「ゾルトラーク」を生み出した魔族や、常識に囚われない升田や、電源ON/OFFバグを操るためにファミコンを温めだすような天才であった。

しかし、きっかけさえ生まれてしまえば、多くの研究がなされるのが今の世である。天才が生み出した思考や手法,製品は次第に一般化し、多くの人が手に活用する日がいずれくる。


前に書いた記事でも述べたが、技術進化の速度は凄まじい。この世界に対応するには、継続的な情報収集と進化していることを忘れないことが大事だ。

これを怠ると、世の流れを知らずにいつまでも昔話でイキってしまう人間になってしまう。これは本当にヤバい。

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(昔話イキりおじさんはこの世で最もウザい生き物)


ちゃんと時代の流れを把握している人からすれば、「え、いつまでホットプレートの話しているんですか?時代はソフト差し替えですよ」と呆れられてしまうから、マジで気をつけよう。


それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』

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