見出し画像

「メタモルフォーゼの縁側」に学ぶ、知らない人だけが知らない世界へ誘ってくれることを知らないフリしてる。

最近、高齢なキャラクターが活躍する漫画が密かに増え始めている。

しかも脇役ではなく、主人公格として描かれることが多く、正直戸惑ってしまう。幅広い年代が読者となった漫画の世界とはいえ、このようなトレンドが訪れることを誰が予想しただろうか。


ファンタジーが舞台の『辺境の老騎士』や、70歳で妊娠といった『セブンティウイザン』のように、ちょっと特殊な環境を仕立てるアクセントとして、高齢な主人公が採用されているうちは、まだ理解できていた。
しかし、最近バズり散らかしている『海が走るエンドロール』は、もはやアクセントの域を超えている。

人生経験が豊富と思われがちな主人公が、迷い悩みながらも新しい夢に立ち向かう姿は新鮮で、加えて高齢が故に時間が限られているという背景が、夢を追いかける物語をより繊細に演出する。
ミステリーボニータという認知率2%くらいの連載誌にも関わらず、多くの漫画に埋もれず注目を集めてくれたSNSには、感謝せずにはいられない。


私は年長なキャラクターが頑張る姿を見ると反射的に泣いてしまう病気を患っているので、この手のジャンルにはとにかく弱い。高齢キャラクターが登場すら漫画が増えているのは、ひょっとしたら私と同じ病気の罹患率が増えているからかもしれない。

今回取り上げる『メタモルフォーゼの縁側』もまた同様に、私の琴線に触れる良作であった。



めちゃくちゃ早口でしゃべりたい。

『メタモルフォーゼの縁側』は、75歳老婦人と女子高生がボーイズラブBL作品をきっかけに親しくなる物語だ。

設定だけでもうエモいのがズルい。こういう上手い設定を見るたびに、どうにかして私が考えたことにならないかという気持ちが生まれてしまうが、これまで一度たりとも、どうにかなった試しがない。現実は無情である。

75歳の老婦人の雪は、ふと訪れた書店で表紙の絵柄が気に入り、1冊のコミックを手に取る。その内容は二人の男子高校生を主人公にしたボーイズラブ(BL)作品であった。雪はBLにハマり、これがきっかけで書店アルバイトの高校生、うららと漫画について語り合ったり同人誌即売会に出かけたり、共通の「好きなもの」を通じて交流を深めていく。

『メタモルフォーゼの縁側』Wikipediaより引用


比較的緩やかに物語が進む本作は、誰もが安心して読み進めることができる良作だ。スローテンポの物語にもかかわらず、バキッと心に残るワンシーンが作り上げられているため、読後も不思議とほんわかとした余韻が残る。
このあたりの力量は流石で、ここまでくると流石に嫉妬する気もなくなる。作者の力量に舌を巻かざるを得ない。

あと主人公の老婦人が思ったより老婦人なのも印象深い。
少女漫画に特有な若いキャラクターに皺を足しただけのお婆ちゃんではなく、「あぁ、こんなお婆ちゃんいるよなぁ」と思わせる描写が随所に出てくるので、もうひとりのヒロインである女子高生とのギャップにいつまでも慣れることがない。

さりげないおばあちゃんアピール:『メタモルフォーゼの縁側』1巻より引用 鶴谷香央里 著


そんなお婆ちゃんと女子高生が喫茶店でBL談義に花を咲かせるのだから,第三者的には可笑しみを感じざるを得ないのだが、なぜかこの関係が羨ましくなる。傍から見れば違和感しかない二人だが、好きなことを好きなだけ語る姿は尊く、私は思いを馳せた。


私は人付き合いは苦手だし、気の合う友人も結婚していたり離れた土地にいたりと気軽に連絡できないし、話したい内容もなんとなく一般ウケしなさそうな内容が多いので、話したいことが話せないという、ちょっとしたストレスを抱えている。

同じような悩みを持つ人は、実は多いのではなかろうか?

チェンソーマン第二期のデンジについてとか、巨乳と言われて思いつくカップ数で生まれ年が予想できる説とか、Bjorkの新しいアルバムのディスクジャケットに理解が追いつかないこととか、こんな話題を気兼ねなく早口で喋り倒せる間柄の友達がいたら、どんなに素晴らしいだろう。

幸いBjorkについては友人からLINEがきた。キャベツにしか見えない。


歳の離れた識者に、遠慮なく好きなことを談義できたら、それはもう楽しいだろうなぁと思う。肩の力を抜いて好きなことを語れる老婦人と女子高生の関係は、私たちのような悩みを持つ人達にとって、全て遠き理想郷アヴァロンなのかもしれない。

それだけではない。こんな関係が築ける高齢者とは、同世代の友達とよりも新しい価値を生み出せる可能性が高いようだ。



ようこそ、多様性の世界へ

多様性を受け入れることが重要視されるようになってから久しい。あらゆるメディアや企業活動においても、その取り組みは積極的に推進され、そして必死にアピールされている。

しかしなぜ多様性が大事なのかといった説明は、いつもボンヤリしている。対象の尊厳を尊重すべきという考えを超えて語られることは少なく、具体的にどうして価値を生み出すかは不明瞭なままだ。


ハチャメチャに面白かった『失敗の科学』の作者であるマシュー・サイドの新作、『多様性の科学』では、画一的な考え方を持つ集団よりも認知的多様性を持つ集団のほうが集合知が得られるため多くの価値を生むと説いている。

チームで難問に挑む際にまずやるべきことは、問題そのものを更に精査することではない。むしろ大事なのは、一歩下がってこう考えることだ。我々がカバーできていないのはどの分野か?無意識のうちに「目隠し」をして盲点を作ってしまっていないか?あるいは画一的な人間ばかりで問題空間の片隅に固まっていないか?これらの根本的な問題に対処しない限り、チームや組織は失敗のリスクを背負うことになる。

『多様性の科学』より引用 マシュー・サイド著


現代社会に生きる私たちが直面する課題は、「誰が一番はやく走れるか?」といった単純なものは少なく、寧ろいくつもの要因が複雑に絡みついた難解なものが多い。例えば企業が新商品を開発しようとした時、経営層やプロジェクトの責任者は以下のような課題に直面することになるだろう。各々の課題はお互いに相関し、いつまでも答えが出ないことも少なくはない。

・商品価値:どんな課題が解決されるか
・技術:どうやって課題を解決するか
・製造:どうやって作るか
・対象:誰にウケる商品か
・事業性:いくらで売れるか
・将来性:いつまで売れるか
・販売:誰がどうやって売るか
・国:販売する国はどこにするか
・規制:関連する法律はなにか
・知的財産:権利化はするか
・差別化:他社の商品との違いはあるか
・応用性:自社の商品にシナジーあるか


上記のようないくつもの課題を、たったひとりで解決しきってしまう人はそうそういない。仮にいたとして、そのような人はもはやヒトではない。膨大な何かを犠牲にして辿り着いたプロジェクトリーダーを見るたびに、私は以下のようなキルアの気持ちになる。

無理だっ…!:『HUNTER×HUNTER』29巻より引用 冨樫義博著


常人には解決できない量と質の課題に対して、私たちは徒党を組み、チーム全体で立ち向かうわけだが、それでも解決することができず、長い間悩まされることになる。

どうして解決しないのか。それはチームに多様性がないからだ。



集合知は専門性に勝る?

『多様性の科学』では、同じような背景を持つ人たちが集まったチームをクローンの集団、これに対して様々な背景を持つ人たちが集まったチームを反逆者の集団と定義している。

クローンの集団では、課題に対して専門的な意見が多く集まるものの、メンバーの考え方は似通っているため、盲点も生まれやすく課題の全容が把握されにくい。
対して、反逆者の集団では、見当違いの意見も多いが、クローンの意見とは反逆する数多くの方向性の意見が得られるため、結果として課題の全容を把握することが容易となる。

以下の図は、上記主張を端的に表したものだ。枠の中が課題空間,丸が個人の認知範囲を表している。丸の数や大きさはどちらも同じであるが、課題の空間を多く埋めているのは、反逆者の集団である。


具体的な事例として紹介されていたのが、グッチとプラダの売上についてだ。

グッチは若手社員が上層部に遠慮なく意見を言える場を設けることで、定期的にベテラン社員と若手社員の交流を図っていた。デジタルネイティブ世代からの、これまでの経営方針とは異なる反逆者の意見をテコ入れとして取り入れたグッチは、ネットを活用したデジタル戦略が奏功し、2014~2018年に売上を136%伸ばすことができた。
対して、行動を起こさずデジタル化の波に乗れなかったプラダは、同時期に売上を11.5%下落させている。


『メタモルフォーゼの縁側』も同様であった。
自分の殻を破りたかった女子高生は、BL作品を通して老婦人と交流を深めるうちに、同人誌を作るというチャレンジを選択をし、自主性を持つ機会を得た。
同じ作品を違う背景を持つ人と談義する中で生まれた刺激が、彼女の課題を解決する方向へ導いたのだろう。

自主性の萌芽(エモい):『メタモルフォーゼの縁側』3巻より引用 鶴谷香央里 著



踏み出す勇気が持てる人

多様性が生み出す価値は前述の通りであるが、自分と異なる年齢や属性の人間であれば誰でも良い、というわけでは残念ながら無い。個人的な話で恐縮だが、私の経験を共有したい。


過去に私が担当したチームに、一回り以上離れた年長の部下がいた。

彼は人当たりも良く色々な意見を聞く姿勢があったので、プロジェクトの中で、若手社員も含む彼を中心とした数名のチームを作り、とある課題に取り組んでもらった。年齢やキャリアに囚われない多様性を持ったチームの誕生である。
けれども、何ヶ月経っても良い成果が報告されてこなかった。

若手社員に状況を聞くと、色々なアドバイスはもらえるけれども、全く方針を決めないし動かない、とうなだれながら教えてくれた。私も当人と話しをしたが、取り組む内容の難しさやリスクを語られるばかりで、まるで動こうとせず、チームは空中分解することとなった。


なぜ彼は全く動こうとしなかったのか。思うに、これには認知的多様性から生まれた新しいチャレンジが原因だと考えている。

クローンの集団から生まれる意見は、どれも似通っている。長く組織にいれば、なおさらその傾向が強い。逆にいえば、クローンの意見から外れた反逆者の意見は、組織から許容された経験のない意見であるので、そこから生まれる新たしい価値よりもリスクが先に頭を巡り、結果として踏み出す勇気が持てなくなってしまう。
せっかく自分の認知範囲を超える意見を得ることが出来ても、枠の外に飛び出して新たなチャレンジを行うことはしないのだ。

人は同じような考え方の仲間に囲まれていると安心する。ものの見方が同じなら意見も合う。すると自分は正しい、頭がいいと感じていられる。(中略)こうした「類は友を呼ぶ」傾向には、いわば引力のような力があって、その集団全体を問題空間の片隅に引きずり込んでしまう。

『多様性の科学』より引用 マシュー・サイド著


彼は認知的多様性が課題解決に大きく貢献することを知りながらも、枠の外に踏み出す勇気が持てず、多様性の力について知らないフリをしていた。その方が楽だから。
結果、自分の経験と技術の範囲の中で課題解決が出来ないかと多くの時間を費やしてしまっていた。



まとめ

認知的多様性が生み出す価値について、個人的には全く異論がない。専門的知識を持つ人材がリードし活用すれば、私たちの生活がより豊かになる可能性は否定出来ない。

けれども、自分の認知範囲から外れることを嫌う人は多々いる。知らない領域に踏み出すことは骨が折れるし、失敗する可能性も多いのだから、ある意味では理解は出来る。どちらかといえば、私自身もそういった傾向があることは否定できない。

しかし、個人の力には限界がある。
私はスーパーマンではないし、天賦の才を持つものが全てを投げ出してようやく得られる程の力を得ようとは思わない。出来るなら多様性の力を活用し、そして知らないフリをしない勇気を持ちたい。

踏み出す一歩は美しいし価値があると思う。『メタモルフォーゼの縁側』で女子高生が見せた自主性の萌芽が、年齢や性別,主義主張を問わず、万人に見られることを期待したい。

それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』



余談

せっかく記事を書いたので、実写映画も観に行ってきた。


日テレ制作の実写映画化作品なので、原作よりも余白は少なく、分かりやすい山場が作られていたりもするのだが、終わってみれば改変した箇所も上手く機能しており、全体的に綺麗にまとまっていたと思う。(原作から変更したシーンは、某感染症の影響でやむなしだったそうだ)

事前に原作を読んでいた分、変な思い入れがあったせいか、最後の辺りは感極まってしまって、オッサン1人にもかかわらず涙を流してしまった

Tips!:オッサンもエモいシーンでは泣いたりする


また、正ヒロインである宮本信子さんが終始可愛いという予想外の発見も嬉しかった。こんなお婆ちゃんと出会えるのなら、たまには紙の本を買うのも悪くないかなと思った。もう90%以上Kindleで購入しているけど。

このシーンが可愛すぎた:『メタモルフォーゼの縁側』1巻より引用 鶴谷香央里 著


以上!


この記事が参加している募集

マンガ感想文

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?