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思惟かねの一口ニュース解説【乗り物/7月】 「ヤマハの電動3輪超小型モビリティ」「ドイツ自動運転レベル4の法改正」「テスラ自動運転事故の訴訟」

この記事は、私、思惟かねのニュース解説ツイートのアーカイブです。気になるニュースを5ツイート程度の一口サイズで深堀り解説します!

◆ヤマハ「電動キックボードの対抗馬」市場投入間近か 立ち乗り3輪「トリタウン」

徒歩や自転車では少し…という「ちょっとの距離」を楽に走ることができる乗り物。
近年、これまでの自動車一辺倒の社会を脱して、「MaaS (Mobility as a Service)」として様々な乗り物を組み合わせた移動サービスを統合的に提供しようという試みがなされる中で、こうした超小型モビリティと呼ばれる車両に注目が集まっています。
(MaaSについてはこちら↓で詳しく解説しています)

ヤマハが市場投入間近とされる電動車、トリタウンもそうした超小型モビリティの一つ。3つのタイヤと立ち乗り姿勢、そして見た目にもわかる自転車以上のコンパクトさが目を引きますね。

現在日本では、シェアリング用の電動キックボードを道路交通法上の特例とし、扱いやすくする規制緩和の動きが進んでいて、サイクルシェアなどとならんだ都市交通の一つとして期待が持たれています。このタイミングで登場したトリタウンは、実に時流を捉えた乗り物だと言えるでしょう。

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トリタウンの売りの一つは安定感だそうです。
こうした乗り物として現在主流の電動キックボードや、かつて一世を風靡したセグウェイと見比べてみると、たしかにいかにも安定感がありそうです。実際、各所で行われている試乗会でも段差などを超えても安心感があるという評価が聞かれているようですね。

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そのトリタウンが実際に走っている動画がこちら。

私もオートバイですが、同じ機構を搭載したヤマハの3輪(LMW)に乗ったことがあります。安定感がありつつも普通のバイクや自転車のように自然に傾いて曲がる感覚で、実に乗っていて楽しかったです。

いつか身近なところにもトリタウンがやってきたら、ぜひ私も乗ってみたいですね…!


◆自動運転レベル4へ法改正、ドイツ先行 状況次第で違反も甘受か

ドライバーを運転時の注意義務から開放する自動運転。しかしこの「義務」とはまさに法律の定めるものに他ならず、自動運転とはまさに法律の整備と一体であることはここからも自明ですね。
レベル4自動運転は、緊急時には同乗のドライバーが対応する義務があったレベル3までと違い、完全無人での運航が可能となるクラスで、レベル3自動雨天が実現しつつある今日の次世代技術と目されている段階です。

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今回、ドイツの法律で許可されるのはバスやトラックといった公共交通機関、ラストワンマイル(短距離)輸送、高速道路のトラック運転などの分野など、公益の大きな分野となっているようで、人間による遠隔監視も義務付けられました。つまり事業者を前提とした規制緩和で、そのため乗用車は対象外となります。

こうした自動運転分野では、ドイツは世界のトップランナーですが、日本も技術と法規制の両面で中々に努力しており、実際に今年3月には世界初のレベル3自動運転車の市場投入に成功しています。
しかしそれでもなお法規制の議論はドイツに数年遅れているのが現実です(レベル3自動雨天はドイツは2016年に、日本では2019年に認可:詳しくは下記の記事を参照)。

さて今回の法改正の中で印象的なのが、自動運転に関する「倫理規定」が法律の条文にまで採用されたことです。

この背景には、緊急時であっても人を頼れず、システムが事態に対処せねばならないレベル4自動運転に必須となる、有事の事故回避プログラムが大きく関わってきます。
現実の交通シーンではいわゆる「トロッコ問題」のような、どう対応しても被害が生じるケースが出てきます。つまりシステムは「1人を犠牲にするか、5人を犠牲にするか」という人間でも難しい問題に判断をくださなければならないということです。

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こうした非常に難しい問題を考えるにあたって必要になるのが「倫理規定」です。
このような倫理に関する原則的なルールを欠けば、例えばやむを得ず「1人の犠牲」をシステムが選んでも、それが正しかったか都度裁判で争わざるを得ません。ゆえに自動運転の「判断基準」が必要なのです。

もっともこうした判断が難しいことは倫理規定にも言及があり、経験則的に進歩するしかないとしています。

8. 真にジレンマに陥るような決定、一人の人命と他の人命の間にまたがるような決定は、関係する当事者による「予測不能」な行動を織り込んだ実際の状況によって下される。そのため、それらは明確に標準化することはできないし、倫理的に議論の余地のないようプログラムすることもできない。技術システムは、事故を避けるために設計されなければならない。しかし、正しい決断を下せるための道徳的能力を持った責任ある運転手の判断を置き換えたり予測するような形で、事故のインパクトを直感的かつ複雑さをもって評価するように標準化はできない。人間の運転手が、一人かそれ以上の人たちの命を救うため緊急状況の中で一人を死亡させてしまうよう行動したとしても、犯罪的な行動だとは限らない。このような法的判断は、特別な状況を考慮に入れ、振り返ってなされ、抽象的/一般的な事前判断に容易に変換することはできず、したがって同様の状況をプログラミングにも変換できない。こうした理由のため、おそらく他の何よりも、独立した公共機関(例えば、自動輸送システムに関わる事故調査連邦事務局、または自動運転およびコネクテッド・トランスポートにおける安全のための連邦事務所)が、システミックに学んだ教訓を処理するのが望ましい

ドイツの倫理規定は、自動運転システムは従来の製造物責任(PL)に依る事、年齢性別等による区別や被害者の選択の禁止、無関係な人へ自動車のリスクを転嫁することの禁止等、興味深い内容で一読の価値ありです。
日本もこうした基準、理念を定めるべき時かもしれません。

繰り返しになりますが、このように自動運転が社会実装される上では、技術的な問題にとどまらない、社会的・倫理的な価値判断が必ず必要になります。
ドイツが倫理規定を自動運転関連の法律に盛り込んだことは、それを如実に表しています。

私たちも、いよいよそうした事を深く考えるべき日が近づいているのではないでしょうか。


◆「テスラのオートパイロットが息子を殺した」…米国で遺族が訴訟

上記の記事でも触れたように、自動運転はレベルごとに機能と責任区分が分かれており、今回事故を起こしたテスラ車は危険時にはドライバーが対応することを前提にシステムが組まれています。
が、ドライバーは現にそのシステムを信頼して運転していたのだから、やはりメーカーにも責任を帰す…という論旨なのでしょうか。

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さて、事故車から撮影された実際の衝突時の映像がNYTの元記事では見られます。テスラにはこうした動画を自動的に撮影する機能が搭載されています。これを見る限り、確かに自動運転モードにあるテスラの車両は被害車両を認識できていない様子ですね。

https://nytimes.com/2021/07/05/business/tesla-autopilot-lawsuits-safety.html

問題は、この自動運転機能に欠陥があるということを証明できるか?またあくまで「運転支援」に過ぎない機能について、ドライバーを超えて会社の製造責任を問えるか?が争点になるでしょう。
もしこの訴訟がレベル2自動運転でもテスラの製造物責任を認めることになれば、従来自動車メーカーが開発の前提としてきた責任区分がゆらぎ、開発が混乱することは必至でしょう。

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なお付記すると、レベル2自動運転はドライバーが運転に集中する(=責任を持つ)ように各種のセンサーで監視をしていますが、国家運輸安全委員会はこの監視システムが不十分であるという見解を出しています。
今だ自動運転での事故については判例も少ない中、裁判の行方がどうなるか注目されます。

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今回もお付き合いいただきありがとうございました。
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