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職場のコミュニケーションについて

以前にも似たようなタイトルの記事を書いた気がするが、会社でも度々話題が出るのでもう一度まとめておく。

あらゆる職場でコミュニケーション問題というのは取り沙汰されていると思う。

疑問として、どこまでコミュニケーションを図れば会社が求めるレベルになったと言えるのかということがある。また、それが仕事においてどこまで効果があるのかということにも疑問符が付く。

というかコミュニケーションってなんだ?

「コミュニケーション」
言葉による意思・思想などの伝達

新明解 国語辞典

僕の職場では、社内の人間や顧客に対して「合意形成を図る」という表現がしばしば使われる。こちらもコミュニケーションと言っていいだろう。

お互いに情報や各々の考えが適切に伝わっていて、それに対してどういった流れでどう行動して結論を出すか、みたいなのは仕事においてはよくある。

自分に当てはめて考えると、コミュニケーションをできればとりたくないタイプがいくつかある。そもそも話したくない人だ。

①話が通じない人(かみ合わない人)

数は少ないが、たまにいる。聞かれたことに答えられない人やなんかずれている人だ。こういう人は時間がかかるし疲れるのであまり相手にはしたくない。百聞は一見に如かずなのに言葉だけで延々と説明しようとする人。

②言葉足らず(無責任)な人

職場においては誰かしらが該当するのではないかと思う。情報を小出しにするというか聞かれてないから伝えない・言わないといった状況をつくる人。特に自分から誰かに指示を出しているのにもかかわらず、情報が足りていない場合、何回もやり取りをする羽目になるので手間がかかる。関係ないことまで伝えなくていいが、最低限伝えるべきことを想定できない人はちょっとどうかと思う。

③話が長い人、ちょっとしたことで電話をかけてくる人

言わずもがな

④パワハラ気味な人

僕の職場にはあまりいないが、周りが委縮して作業効率が落ちている気がする。その人が割と重要な立場である場合、その考えを無視できなく、相談せざるを得ないこともあるが、スムーズに話し合いが行われず、罵詈雑言に近いものがとんでいるのを何回も見てきた。ただ、やはり代わりの人間がいないので葛藤しながら相談している人たちがいるのでは、と僕は外から見て感じた。こういう人は単純に関わるのが面倒なので話しかけたくない。欲しい情報が得られないかもしれない上に、余計な苛立ちが生じる可能性がある。

よく、なぜそんな言動をするのかわからない人に対して、そういう生き物だと思えばいいという話があるが、なぜそんな態度でいられるのかが気になる。敵をつくりがちになり自分にメリットがなくないか。感情の赴くままに生きているとは到底思えないんだけど。今までどうやって生きてきたのかが甚だ不思議だ。

⑤何かが合わない人、話しかけづらい人

このタイプが、一番厄介だと僕は思う。こちらの主観でしかないが、やりづらい。かつての上司がこのタイプだ。意思疎通はできるし、パワハラをしてくるわけでもなく、感情的なタイプでもない。

仕事で関わったことがない人だと、単純接触効果である程度やり取りがスムーズになるかもしれないが、僕は数年間上司と仕事をしてきた。にもかかわらず、未だに苦手意識がなくならない。お互い自分の内面を開示しないのでまあ理解には至らないだろうなと感じる。

堅物でムスッとしている(ように見える)タイプだ。こういうタイプがいないと職場の雰囲気が締まらないのも事実ではある。

なんか苦手なんだよな。怒られている気分になるというか。話しかけたくねえという気持ちが先行する。僕は上司を勝手に反面教師にして、話しかけづらい雰囲気を極力出さないようにしている。周囲からどのように映っているかは不明だ。基本無表情ではあるが。

職場の人間関係はまず選べないので、自分が苦手なタイプと日々頻繁に関わらなくてはならない場合は苦痛でしかない。

⑤のようなタイプは、おそらくコミュニケーションを改善するのが難しいだろう。ここでいうコミュニケーションは意思疎通というより、単純に話をするというレベルのことだ。仕事内容に限らずこの人と雑談ができるというぐらいの意味合い。以下こちらの意味合いの「コミュニケーション」は太字にする。

自分の苦手意識を飲み込んで、積極的に話しかけにいくというのもあるが、わざわざそんなことをしたくないし、しなくても一応仕事は回る。また、何かきっかけがないと相手から変わろうとすることは無いと思う。仮に相手が多少変わったとしても、こちらから話しかけやすいということにはおそらくならない。人間の相性問題というのは根が深い。人格レベルで変わらないと解決しない気もする。そうなると、もはや別人だ。

あと、会社の雰囲気でもコミュニケーションの取りやすさというのは変わってくるのではないかと思う。

普段、業務に追われて余裕がなくなってくると誰かの相手を極力したくなくなってくる。追われていなくても積極的にコミュニケーションはとってはいないが、ぴりついた雰囲気は伝播するので、そういった状況になるのはこちらとしても好ましくない。

少し話は変わるが、親睦旅行なんかはコミュニケーションの一貫として交流を深め、業務を円滑に進めることの活性化の手段の一つとして捉えられていると思われる。

多分、僕が間違っている気がするんだけど、世間一般で職場に求められる雰囲気として和気あいあいとしたものがあると感じている。これは話しかけやすさの前準備としての人間関係の構築のようなものだろうか。

確かに日常的にぴりついているよりはいいのだが、行き過ぎると馴れ合いみたいな雰囲気になるのではと危惧している。自分の仕事の範疇とか役割が曖昧になることにつながるのではないかと。

コミュニケーションといっても、あくまで仕事上の話であって、プライベートの付き合いの話ではないので、ある程度の緊張感や、その辺のさじ加減が職場には求められていることだと思う。

世間で問題になっているのは、行き過ぎた例が多いのだろう。職場の人間関係が悪いというのは主観によるところが大きいが、おそらく多数が問題を感じていると思われる。その場合、職場の人間関係を改善するためにはどうすればいいかとか考えるより、自分が環境を変える方が楽で早いし、メリットがあると考え、転職する人が出てくるのは自然なことだ。

普段、周囲の人と仲良くしておけば困った時に助けてもらえるとかそういった話もあるにはあるが、上司であれば、人間関係の良し悪しにはよらず、部下を指導する必要がある。上司でなくても業務上で関係がある人とは、否が応でも、適切な対応をしなければならないし、嫌い・苦手だからと言って無視するわけにもいかない。

結局のところ、コミュニケーションは100%意味が無いとは言えないが、
就活生に御用達の潤滑油の域を超えず、理由が不明瞭で、なんか合わない・苦手だと思っている人に対しては特に効果を期待できないと、僕の中では結論付けている。(意思疎通という意味ではなく、単純な会話(雑談)をしてもいいかどうかというレベルでの意味合いで)

自分にとって話しやすい人はおそらく何もしなくても話しやすい。誰がそうなのかは周囲を観察するなどして見つける必要はある。

意思疎通という意味でのコミュニケーションについても、どちらにせよ相手が必要で相手依存な部分もある。お互いコミュ障でも、仕事に関してはある程度、型が決まっているところがあるので、雑談なんかよりはスムーズな気もしている。自分の考えを言語化(表現)して、何をどうしたいかなどを相手に伝え、納得させることができれば仕事上での最低限のコミュニケーション能力はあるのではないかと考えている。

仕事でネックとなるスケジュール調整などはコミュニケーション能力が影響してくるが、雑談はできなくても、こちらはできる人はそれなりにいそうだ。

どんなコミュニケーションにせよ、自分の意見の妥当性を表現して、押し通す力と相手の意見の妥当性を理解して、受け入れる力は必要だなと思う。


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