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変化に途中で気付けるか?

僕はたまに頭痛になり、ひどいときは頭痛薬を飲んでいる。(多分仕事のストレスだろう)

こういった、日常生活での何かしらの変化というものは多々あると思う。

頭痛を例に挙げると、寝る前は痛みは無いのに朝起きたら頭が痛かったりする。薬を飲んでもしばらくは痛みが続くが、気付くといつの間にか痛みが消えている場合もある。

グラフで視覚的に考えてみる。頭痛は一旦おいておく。

有名だと思われる曲線に以下のような忘却曲線や学習曲線といったものがある。忘却曲線は無意味な音節についての記憶に関する実験から導いたもののようなので、何かを意識して覚えようとすれば忘却曲線のようにはならないだろう。

「忘却曲線について何かを考えている」ということを意識して覚えておこうとすれば何日間覚えていられるだろうか? 寝たら次の日に忘れていそうな気もする。

イラスト素材:エビングハウスの忘却曲線 (シンプル)
学習曲線

これらも頭痛の痛みと同様に不思議なもので、途中の変化というものには気づきにくい。

変化率が小さいからかと思ったが、上の学習曲線で言うと、1stステージから2ndステージの切り替わりの曲線は変化率が大きい。

学習曲線で画像検索をすると能力の伸びの理想は一次関数、実際は指数関数的なものが出てくるので、この情報が正しいとすると、どこかの時点で変化率が初期段階より大きいという状況が生まれてくる。学習曲線もエビングハウスによって提唱されたようだ。

僕も昔の記憶だが、急に伸びたなと思える時期があった。やはり、その時もそれまでの変化を自分自身では捉えられていない。

内面での変化は認識しづらく(できなく)、肉体感覚的な変化は認識できると思われる。

車が加速した時などはわかりやすい。頭痛は急激に痛みが引いていくわけではないのでその瞬間を感じづらいのだろう。痛みは引くまで連続しているはず。

一方で、内面的なものであっても、感情の変化はわかりやすいと思う。

何かが蓄積されていたのかと思いきや急に切れる人もいる。僕も表には出さないが、瞬間的にイラっとすることもある。しばらくイラっとしているがいつの間にかおさまっている。この場合は変化率が大きいはずだ。だが、その瞬間に気付けない。別のものに意識を割かないとその苛立ちは長引く。

ある程度の期間、連続する状態が続く場合は、変化した瞬間を意識しない方がいいのかもしれない。

仕事などで、初めて何かをやり遂げた時に、成長したと思うだろうか。僕は思わない。その瞬間は成長したのではなく、結果が判明しただけだ。あとから振り返った時に、あの時のあの期間が成長期間だったと思うことだろう。

いつの間にか成長していたと言えるぐらい何かに没頭していられる環境であれば喜ばしいことだ。

逆説的だが、結果があるということはどんなに小さくても何かしらプロセスがあるということで、成果を問わず成功なら成功する要因が、失敗なら失敗する要因があるはずだ。それは、あとになってこれが要因だとわかるが、プロセスの最中ではおそらく判然としない。

だから、連続する変化に対しては、変化の瞬間を逐一意識しなくていい。あまり意味がない気がする。

途中から何の話かよく分からなくなったが、頭痛薬を飲んで頭痛を意識し続けていれば、どこかのタイミングで痛みが薄れてきたことに気付けるのだろうか?

おわり

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