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人生に師匠は必要なのか?

あなたには目標とする人や教えを乞いたい人はいるだろうか。理想とする生き方はあるだろうか。

今の世の中では、ネットを通じて半ば自動的に、あらゆる人の様々な生き方を目にすることができてしまう。何かにつけて周囲と比較しがちだ。上を見て嫉妬に近い感情を抱き、下を見て安堵感を覚える。何不自由なく悠々自適に暮らす人がいる一方で、その日を生きるのに精一杯の人もいる。

そういった状況を認識した上で、やはり我が身としては自由に生きたいと思うのは何ら不思議ではないことだろう。

ただ、身近にそういった人がいるかどうかというのは何かを学ぶという意味で、かなり大きい問題だと思う。また、その人の人間性を含めて憧れのような感情を抱いているかというのもある。

僕自身の身近には自由に生きている人はいないし、人間性も含めて人に憧れを抱くということはあまりないように感じている。身近にそういう人がいるとおそらく学ぶものが多いと思われる。学ぼうとする気になるのではないか。第三者的な立ち位置で眺めているだけだと、どことなく違う世界の住人のように思えてただ憧れて終わりになりそうだと感じる。

ネットや書籍で、「この人の生き方とか能力、考え方はいいな」と思うことはあるし、参考にすることもある。具体的な人物はすぐには出てこないが、憧れるのは会社に雇われるのでなく、周囲の手助けがあるにしても自分の力で生きている人だ。時間の切り売りをしながらの労働は何のために生きているかわからなくなる。

ビジネス書に限らず、思想系の書籍でも、恩師のおかげで今の自分があると言っている人は数多くいる。マジレスすると今の自分がいるのは親のおかげだ。自分ではあまり認識していないが、親の生き方はほとんど参考にしていないと思う。考え方もおそらく似ていない。

小学校の通知簿にもっと人の話を聞きましょう。というコメントがあった(ような気がしている。)覚えていないので、僕の妄想かもしれない。そんなことが書かれていてもおかしくはなさそうだと自分では判断している。

今までの人生で刺さった言葉や考え方などはあるはずなのだが、これといったものがパッと出てこないので、実のところ表面的に受け取っただけの可能性はある。

僕は人に教えを乞うのは得意ではないしあまり好きではない。理想は何でも自分でできた方がいいと思っているからだ。そのために、人に教えを乞うことはもちろんあるが、自己流でなんとかしたいという気持ちがある。

このタイプの人間には、師匠といった存在は遠いものだと思う。自分自身が一番の指導者かつ理解者でありたい。

師匠や目標と呼べる存在がいる人は、そう思える自分の心に感謝した方がいいと思う。師匠がいる人に少し憧れを抱く。

人生に師匠なんか必要ないと考える人は、それはそれでいいと僕は思う。

師匠のような存在がいてほしいがいない人は、脳内に有名人を飼ってる人を見習って、脳内に理想の師匠を創造しよう。何かを考える時にそれが反応してくれることだろう。

反応のパターンをいくつか想定することで、脳内に師匠を飼っていない状態より、ある意味、主観的でありながら客観的に考えているような気分を味わえると思う。

師匠というと意識的、無意識的にかかわらず、上下関係のような一方的に近いものを想定してしまうと思われる。

人間関係としては、対等でありお互いを高め合えるような人付き合いが好ましい。

タイトルが思い浮かんだので、思いつくまま書いてみたがあまりまとまりのないものになってしまった。

必要なのは好奇心だ。

終わり

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