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小さな箱を出入りする日々

昔そんなふうに思ったことがある。
毎日同じルーティンで馬車馬のように働いていた頃だ。

高校に入学して埋もれゆく自分の存在がちっぽけに思えたこと。
東京に来て、あまりの人の多さに頭痛がしたこと。
海外に出た時、初めてアイデンティティが何なのかを理解できたこと。

人に影響を与えられるような大きな存在になりたいと思ったことは、正直ない。
それでも「自分の居場所をみつけること=人に認められること、信頼されること」というのはずっと意識して生きてきた。

その道のりは地味だが、大人になるほど簡単ではなくなる。
個人の感情やイベントとはお構いなしに明日はちゃんとやってきて、繰り返しコツコツと人や場所との繋がりを積み上げていくのが日々だからだ。

大きな海を眺めたとき、山から麓を見下ろしたとき。
飛行機から地上を俯瞰したときなど。私は、自分が自分に還れる気がしている。

そういった壮大な景色は、いい意味で自分の意識や存在をぼんやりさせてくれるからだ。自身の存在を嘆いているわけでなくとも、どこか世界に宥められているような感じがして、ホッとするのだ。

毎日同じ自分で在る必要はない。
自分のこととなると、冷静に同じトーンで在りたいと願ってしまいがちだが、大切な人たちを思い浮かべる時、いつも同じで居られる方が心配になる。

だから、憂鬱になる日も、嬉しいことが会った日もありのままの自分で在りたいと思っている。そうやって自身を自然に解放できるようになった時、それでいいんだよと言ってくれる人たちを今よりもさらに愛おしく、ありがたく思うだろう。

今は素直にそう思えるようになった。そして、小さな箱の中を出たり入ったり、籠ったり。そんな生活もけっこう可愛いじゃないか、と思っている今日この頃である。

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