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憧れの存在は、すぐそばに

誰でも多かれ少なかれ憧れの存在はいると思う。私にも勿論いる。ただ若い頃、10〜20代までと30代から現40代では「憧れ」の意味合いがだいぶ変化した。

10〜30代までは、主に芸能人。
JUDY AND MARYが好きだった私はYUKIちゃんに憧れ、前髪を短くパツンと切ったり(金太郎にしかならなかったが….)、個性的なものを好んだりと近づくことに必死だった。蒼井優さんや宮崎あおいさんといった、控えめなのに笑うと周りが華やぐような可愛さにも憧れた。

30代も半ばを過ぎたなら、アン・ハサウェイさんや山口智子さん、内田也哉子さんなど、生き方から滲み出るような輝きを纏う人、考え方がかっこいいと思える女性へと憧れがシフトした。もちろん今でも彼女たちは好きな存在として君臨している。

そして40代に入り、憧れの存在はガラリと変わって「身近な人」になった。特定して〇〇さんというのではなく、この人の話し方、あの人の気配り上手なところ、この子のセンス、あの子の手紙のしたため方、間の取り方、言葉選び、といった感じだ。

つまり、私にはない要素や魅力を持ち合わせる、身近な人たちに憧れるようになったのだ。遠い存在ではなくリアルに接触できる人たちだからこそ、いつの日か自分にも備わるかもしれない、新たな魅力を得られるかもしれないと気づいたからだ。

そういった憧れの存在の人たちは友人や同僚、先輩であれ、感情面からも嫉妬ではなく尊敬の念や素直なコミュニケーションに繋がるので、身近な人に憧れを抱くのは正直悪くないな、と内心思っているこの頃である。

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