オルハン・パムクの「赤い髪の女」
はじめに
2006年にノーベル文学賞をとったオルハン・パムクの「赤い髪の女」が面白かった!
なので、面白いな…と思った感想を書きます。
考察…論考…めいていると思う方がいるかもですが、私は「これが正しい」みたいなのにはミリも興味なく、
「な、なんてよくできた小説なんだ~!」ということが言いたいだけです。だから気楽に読んでね!
読んだことがある人を前提に、結末まで書いていますので、あたまからしっぽまでネタバレです!
読んだことない人で、ネタバレとかで検索してこの記事にたどり着いた人は、自分で読んだ方がいいよ! 買ってくれ! ね!
①父と子の話 -三者三様
①-1.一覧
この小説の面白さ、構造に99%くらいの魅力が詰まっており、マジで本当に心から上手~! と思った要因…まとめるか。と思ったのでまとめた。
これでもう全部なんですが、マフムト親方・エンヴェル・ジェムについては一人ずつ後述します。
①-2.マフムト親方 -ジェムのifルート
マフムト親方を、ジェムやエンヴェルと同じ「息子」の語り口で話すの若干ズレてるかもですが、この後にもつながる話なので書いておきます。一応、父親の話出てるしね(P48)。
彼は本当に健全な息子です。ソフラープみもオイディプスみもない。ただしきむすこ。
父親の背中をしっかり見て育ち、「父親は公正であるべき」という正しい倫理を素直に父親から受けとり、父親の仕事を継いだ彼は、ジェム親子と比べて、父親も(父親の)ふるさとも失っていない人間と言えます。
いわば成功例というか、ノスタルジックな遠い目で「昔はよかった」という文脈で登場する理想郷としての「昔」を体現したような存在というか……。
彼は(疑似的な)息子であるジェムによって物理で傷つきますが、そういう健全なヒューマンであるゆえに、ライオースみたいな末路を辿ることなく、普通に生き延び、天寿を全うします。良かったね!!!! この本で唯一「良かったね」ってなるの、マフムト親方が生きてたことじゃないですか? 後は全部「余計なこと、すな~」ですが……。
父親に捨てられたジェムに対し、父親に捨てられなかったジェムとしてのマフムト親方、ということがいいたいです。
あというと、マフムト親方には息子がいません。これも、ジェムの「自分の精子によって生まれた息子がいない」という属性と被ります。
ジェムは妻の方が不妊だったから、マフムト親方は(貧乏で?)妻がいないから、という差はありますが…。
この本の巻頭言で、王書の一節「子なし父は慈しまれない」みたいなことが書いてありますから(そう?って感じですが、フェルドースィーの中ではそうだったんでしょうね)、「受け継がせる子(息子)がいない父親って、可哀そうだとさえ思ってもらえない」みたいなのもこの本のテーマの一つだと思いますし、ジェムは最終そうなっちゃうんですが、マフムト親方は息子がいなくてもみんなから尊敬されてハピエンを迎えます。
だからマフムト親方はやはりジェムのifルートというか、
・マフムト親方を息子と見た時 → 父親と関係良好で受け継ぐもの受け継いだ成功例
・マフムト親方を父親と見た時 → 自分の精子で生まれた子供はいないけど、疑似的なパパとして息子(町の子供たち)に囲まれ尊敬されて幸せに生きた
という両面で、マフムト親方はジェムの成功例として描かれているなー、と思います。
そのジェムにはひどい目にあわされたけどね…。マジ医者呼ぶくらいできんの??
①-3.エンヴェル -基本はソフラーブのifルート
①-1の表を見て貰えればいいんですけど、ソフラーブとエンヴェル、ほぼ属性が一致です。
ソフラーブは、ロスタム=父親だと母から聞いて知っていたので……。目の前にいるのがそのロスタム=父親だということがわからなかっただけで…。ていうかソフラーブの時代にfacebookさえあればこんなことにはならなかった。ITありがと。
けれども、エンヴェルとソフラーブは、ソフラーブが父との殺し合いに負けるのに対し、エンヴェルは父との殺し合いに勝つ結末が違います。
P250のエンヴェルVSジェムのタイマンですが、これはP158で語られるソフラーブVSロスタムみたいに、3ターンで終わっています。
エンヴェルVSジェムは、「エンヴェル優勢→ジェム優勢→エンヴェルによるトドメ」、
ソフラーブVSロスタムは、「ソフラーブ優勢→ソフラーブさらに優勢+ロスタムの嘘コンボ→ロスタムによるトドメ」と、殺し合い展開は違いますが…。
なので、エンヴェルの視点で見れば、彼はソフラーブのifルート、つまり父親を殺すことに成功したソフラーブとして設計されているんだな~と思います。
なんでソフラーブには出来なかった父殺しがエンヴェルに出来たかと言えば、ソフラーブは「いつか(顔も知らんけど)父親と僕とで大陸制覇♡」くらいに考えていたため、親子の情があったんだと思うんですが、エンヴェルにはそれがなくて、殺意100%だったからかな…と思います。
ここでマフムト親方の影響が出るというか(P268、マフムト親方のところに通ってる)、近所でも評判の尊敬ダンディ、マフムト親方から「ジェム、ろくでなし」みたいな刷り込みをされてたのに、後からギュルジハンに「そのジェムってやつ、お前の父親」って言われちゃったのかと思うと、い、因果~! ってなります。
もしもマフムト親方から「ジェム=俺を見捨てたろくでなしの青瓢箪」を聞かないでいたら、ソフラーブからみてロスタムは敵国の男だけれど一緒にがんばりたいなと思えるくらいの父だったみたいに、エンヴェルも、ジェムは鼻持ちならない金持ちで、エンヴェルの友達はジェムとは反対の属性を持つ失業者&理想主義者ばっかだけど(P268)、一緒にがんばりたいなって思えたかもしれないのに……。
もしそうなっていたら、同じifソフラーブルートでも、「父親を無事にキルできたソフラーブ」じゃなくて、「父親も含め、みんななかよくおもいやり♪はぴはぴで生きられたソフラーブ」という真のハピエンルートに行けたかもしれないな……と思うと、いや~ジェム! やらかしたな!!! としみじみせざるを得ません。この小説、面白~!!!
基本はソフラーブのifルート、ってかいたのは、エンヴェルにはオイディプスみもあるからです。
具体的に言うと、オイディプスの「父親の妻と寝た」属性です。これはソフラーブにはないので…。
っていうのも、エンヴェルとギュルジハン、ちょっと仲が良すぎるというか…。「(大喧嘩のあと)力いっぱいに抱擁して互いの頬にキス」とか、なんだかんだ彼女の住む家に戻ってくるとか……。はっきり挿入を伴う性交をしていないとはいえ、「ほんとはしてるけど、裁判に不利になるから書いていないだけでは?」とかまで思わざるを得ない、モラハラDV喧嘩カップルみがあるんですけどそんなことないんですか?! 世の息子と母親ってそんなことしてるんですか?!
でもまあ、基本はソフラーブなんだと思います。9.5:0.5くらいかな、ソフラーブ:オイディプス比率は……。
①-4.ジェム1 -基本はライオースのifルート
この本で一番笑ったとこなんですが、ジェム、さんざん「自分は…オイディプスか?」みたいなことを言っていて、最終的な末路はライオスなんですよね。ライオスみを整理するとこう。
オイディプスだと思うには、どの要素もいずれもちょっと弱い。注釈がつく。図にするとこう。
ジェムが親方を見捨てたのは、「倫理を植え付け、運命を示す存在」を自分で探そうとしてその道を自ら閉ざしたという文脈であるため、この場合の父親、どちらかといえば神に近いんですよね。オイディプスで言えばアポロンの位置に親方がいるわけで……。
ジェムの、「親方見捨ててボイコット事件」は、「世俗化した少年が、前近代的な神を見捨て、資本主義社会の枠組みの中に身を投じるきっかけ」という風に語ることの方が多分比重が大きくて(こっちのテーマは後で触れたい)オイディプスみが格別つよいかといわれれば私はそうは思わない…。どれも微妙にズレているので……。
でも、目をやられて死ぬし、あと予言をうけているかどうかっていう意味では共通点があるので、オイディプスみがなくはない。
あとジェムに関しては、「一夜の逢瀬で子をなしたのに名乗りを上げなかった」ロスタムの罪も背負ってはいる。
なので、テイレシアス風(オイディプス王伝説の予言者)に言うとしたら、ジェムは「ライオスでありオイディプスでありロスタム」、という感じかなと思います。あまりに多くの役割を背負わされていて~なんて構成が上手い小説なんだ~!
比率的には、ライオス:オイディプス:ロスタム=6:3:1くらいかなと思いますね……。
①-5.ジェム2-「自分の精子で生まれた子がいない父」としてのバドエン
マフムト親方のところで話したんですが、「受け継がせる子(息子)がいない父親」としてのジェムもあると思います。正確には法人格のソフラーブがあるけど、人間ではないので……。
つまりジェムは、実の父親から捨てられ(後に再会するが)、代わりになってくれるはずの親方(倫理を植え付ける方の父親)を見捨てた、という両方の意味で父無し子であり、子無し父でもある。
全部なかったから、マフムト親方みたいな一応はハッピーエンドを迎えられなかったのかな~~~と思うととても可哀そうですね!
でもifソフラーブルートであるエンヴェルに殺されたの、かつてみすてたマフムト親方の評価が底だった原因もあるかと思うと、やっぱ…多少自業自得なんだよな…。ジェムの自己愛の強さたまに食傷なる~。
②「倫理を植え付け、運命を示す存在」になれるのは父だけと誰が言った?→性別関係ない
②-1. この小説における「父親」の役割2タイプ
この小説において、父親の役割は二つ。
A生物的な父親
B倫理を植え付ける、導き手としての父親
特にBについてですが、これは、「人は何をすべきで、何をすべきでないのかを教えてくれる」(P163)、「お前たちに罪はないよ、間違えていないよ」と保証してくれる(P163)、心根は正しく、優しさに溢れながらも、息子に恐れを抱かせる(P162)、そういう父親なんですけど……。
別にこれ……下半身に男性器がついてなくても、Bの役割は果たせませんか? っていう話をします。
てか、いわば、Bの役割というのは神に近くて……。
子どもからみた年長者の男でなくても、Bの役割だけなら果たせるんですよね。導くのに性器が必要な合理的な理由は存在しないので……。
なので、最終的にはギュルジハンは(エンヴェルにとっての)父親≒神になった、というか、髪を自らの意志で染めた近代的な彼女は、そういう存在になった、という感じなんだと思います。近代・世俗の話は③でしたいので軽くだけにしますが…。
②-2.赤い髪の女、ギュルジハン -イオカステにもタフミーネにならずに済んだ女
オイディプスやソフラーブ逸話において、女は、イオカステもタフミーネも、悲劇的な「嘆き」を担当します。
イオカステは、旦那を殺した男に犯されたと思ったらそいつ本当は自分の子供で最終的に自殺します。
タフミーネは、一夜誘惑して妊娠して生んだ子供に自分が真実を教えたせいで、子供が死んで超ショック受けます。
なんですけどギュルジハンは、イオカステみたいに自殺もしないし、タフミーネみたいにショックを受けて嘆いたりしません。その運命を華麗に回避しています。
まとめるとこう。
いや~、タフミーネ的でありイオカステ的でもあるギュルジハンが、最終的に全く悲劇に陥らないのがすごい。
最後のアイシェとのやりとりのあたりで読者のヘイトを買いまくるのも強い。普通こんなこといえます? メンタルが強い。
でもこのメンタルの強さが、「子どもに倫理を植え付け、運命を示す存在」の扉を自分で体当たりして周囲が傷つこうがおかまいなしにどうにか開いた彼女の意志がこの物語の根底にあって、タイトルロールなだけある!!! という感じですね~! ギュルジハン! お前が主人公だ~!
アポロン的な予言をジェムにしたアイシェはばりばり不幸になっているのに……。彼女は「保守的な家庭」で育って、婚前交渉もせず、夫と二人三脚で頑張りはするけれども、「周囲からどう思われようが、自らの意志で進む」要素が少なかったということなのか……。そういう自分の意志でどうにかする気概がなければ女(というか、人間?)は幸せを掴むことができないということか……。え、いつの間にか山岸凉子の漫画読んでた?
②-3.赤い髪の女、ギュルジハンの大勝利
アクンのことはやっぱり好きで、ジェムのことはエンヴェルの父親としか思っておらず、エンヴェルのこと大好きなギュルジハン、読者の視点からみると「お前が誘惑したんやろうが!!」とか「ジェムに申し訳ないと思わないのか!!」とヘイトをためまくる存在なんですが、彼女の主観で考えると、アクンとは2年くらいは付き合ってるし、ジェムとは1晩しかろくに会話しておらず、エンヴェルは自分で育てた存在であるので、一緒に過ごしてきた期間に比例した好意をもっている、ともいえるんですよね……。
美人で、自由を求めてきたけれども、女性というので男性なみにやってこられたかといえばそうでもないし、選択肢も限られてきた彼女が、それでも自分の意志を棄てず(=赤い髪のままでいて)、どうにか運命をこじあけようとして、息子の父親(B的な意味での)としても生き続けた結果、彼女の望むもの=莫大な資産を手に入れたという意味で、赤い髪の女(=運命を自分の意志で選び続ける、近代的な精神)の大勝利、ともいえる気がする話です。
「お父さん、行かないで」といったジェムを、優しく抱き上げるアクン(P190)の行動と同じことを、「お母さん、僕を置いていかないでよ」(P280)というエンヴェルを決して見捨てず、何度も面会しにいくキェルジハンで再現することによって、ギュルジハンはエンヴェルにとって父親である(そしてそれは、ジェムが求めて得られなかったものである)というのが上手いですね~!!
でもそれはそうとして絶対に心から友達になりたくない~笑
さっきもちょっとかきましたけど、息子のおちんちんについて二か所も言及したり、"熱い"抱擁をしたり"お互いに"頬にキスしたりって、その情報は要らん! 余計なこというなが多すぎる 裁判に不要な情報過ぎる 普通になんていうか ストレートでキモいです……。そもそも33歳?とかで16歳の子どもに手を出すのもキショすぎる……。
そういうのキモいよって教えてくれる友達いないんか? って思うんですが、まあいないんでしょうね…。
なのでまあ、好きか嫌いかで言ったら嫌いなんですが、あっぱれかあっぱれじゃないかでいったらあっぱれ!! おつかれ! ギュルジハン!
③世俗主義の申し子により殺される世俗主義 -トルコって大変だね
そろそろ飽きてきたんですけど…。もうちょっとだけ書くと……。
この物語の流れ、大きくいって20世紀~のトルコの歴史をなぞってるよね~と思うのでそれもかいておきます。
西洋VS東洋みたいな文脈で? この物語を語ることができる? らしいんですが、私はそれよりも、トルコそのものだな~~と思いました!! ってのをまとめるとこう。
面白いなー! と思ったのは、神様を棄てた、世俗・資本主義の擬人化であるジェムを殺すエンヴェルもまた、自分で髪を染める近代行動様式そのものであるギュルジハンの申し子であるというところですかね……。
近代的なマインドをもつ人間(ギュルジハン)による、子供(エンヴェル)の支配という意味で、やや後退しているというか……それでもお金は手に入れているので、近代的なマインドを持つ人間によって、前近代(っていいかたあんまりすきじゃないですけど~)の価値観が力を取り返しているともいえる、その縮図なんですよねこの小説は…。う、うますぎる…。
世俗主義(っていうと限定的ですけど、民主主義とか資本主義とかでもいい、なんとなく西洋っぽいもの)が生み出したものが、それを脅かしている、っていう図式が、トルコっぽくておもしろいな~と思います。いや、別にトルコに限った話ではないんでしょうが……。
「大学で女はスカーフをしてはいけない」っていうのは西洋っぽいことなのか、それとも女性のスカーフをつける権利の侵害という意味で非西洋なのか? みたいな議論をね、しなきゃいけない国なので……。
私としては、それぞれのウラマーががんばって、「よく読んだらコーランにスカーフしろってかいてないから、それ、やっぱなしで!」って言うなどして……スカーフをつけてなくても別にイスラム的だよ♡ の方向に倒して意見ものかとは思ってますが……。
まとめ
「【東洋】ロスタム-ソフラーブ」が、「【西洋】ライオース-オイディプス」のラインに変異していく、というよりは、「ライオースVSソフラーブ」みたいな、ゴジラVSモスラ、貞子VS加耶子というか、「殺される方には殺される方をぶつけんだよ!」みたいな感じの物語だなと思いました! 存在の強さバトルが行われている。東洋と西洋がバトっているという意味でトルコっぽい。
結果はソフラーブが勝つんですが、なんでかっていうと、赤い髪の女の自分の意志による選択、愛が父ではなく息子に注がれているからというか……。ジェムは神(倫理を与える存在。≒父親)は結局見いだせず、エンヴェルには神(倫理を与える存在。性別は女だけど別にいいじゃん)が見いだせた……という感じで、最終的に、近代が切り捨てた神の存在によって勝敗が決まっちゃった! というのが、世俗と宗教の間で揺り戻しがありまくるという意味で、やっぱりトルコっぽい。
おわりに
よくできてるし面白い小説だな! と思いますが、登場人物はマフムト親方とアイシェ以外みんなだめ! アイシェは強く生きてほしいよ~!! とつらい気持ちになってしまう時にお勧めなシナモンのURLを貼っておきます。
シナモンは設定上子犬なのですが、青空が母親、太陽が父親、雲が兄弟という大変メルヘンな出自を持ちます。なのでこのイラストは、シナモンと父親との対話シーンですね。
こういう風に…親に対して…いつでも「遠くで見守ってくれているんだ」と屈託なくいえるのが、前近代だろうが近代だろうが必要なマインドだと思いますね、私は……。あとかわいいし……。