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私にはWebライターの才がない

Webライターになるには、という検索を何度かしたことがある。

言葉を使った仕事がしたい、言葉で生活したい、という厚かましい願望は常に心のどこかにあって、普段は自身の才能のなさに打ちひしがれたくないという恐怖と今の仕事から動くのが億劫だという惰性によって蓋をされている。

ただ、たとえば春の夜の匂いがした時、仕事の帰り道に見つけた猫がだいぶ近くを通っても逃げなかった時、初夏にその年で初の冷やし中華を食べた時、そんな時にふと、自分の願望がひょっこりと顔を出して検索窓に指を走らせるのだ。


「自分の書きたい文章ではなく、売れる文章を書くこと」
「ビジネスとしての取り組みを意識すること」
「Webライターで成し遂げたい目標を持つこと」

うっひょ〜!向いてない!私Webライター向いてない!


自分が筆を走らせる時、もちろん多くの人からスキがもらえたら嬉しいが、スキをもらうために、という目的で文章を書こうとするとどうしても筆が乗らない。

文字が走るように出てくるのは、決まっていつも自分の中の薄らぼんやりとした思考を整理しようとしている時とか、印象的な事象をなるべく新鮮な状態で文に閉じ込めたい時とか、自分の中の哲学というか思考パターンを確立させたい時とか、そんな時であって、これは確実に「周りが読みやすい文章」ではなく「自分が書きたい文章」を書いてしまっている。そこにはビジネスも売れ筋もない。自己満足オナニーマシーン執筆家なのだ私は。不適切!



ましてや目標などない。自分が書きたい文章をずっと書いていたい。書きたいと思える文章が無くなってしまうのが怖い。だから常に文章を書いて思考を止めずにいたい。

今日この記事を書こうと思ったのだって、書けなくなるのが怖いからだ。

自分を動かす力であり、動いた後の自分の休息場でもあった「文章を書く」という行為が、最近めっきりと私の後ろの方に立ってまんじりともせずこちらを横目で見ている。

大学時代の話したことのない同級生がTwitterで、「創作意欲がなくなった、大人になるってこういうこと?」と呟いていた。

こわいこわい、すごくこわいと思った。やはり着実に私の文章を書くスパンは落ち、それに伴い思考を巡らせる体力、それを言語化する行動力も衰えたように思う。

なので今日は書きたい衝動がいなくなってしまわないように書いているのだ。そこに目的はあるが、大それた目標はない。



文を書き続けて何者になれるわけでもないと頭では分かっているが、何者かになりたいという浅薄な思いがあるから私は文を書くし、Webライターになる方法とか調べてしまうのだな私は、とつくづく思った。


ええいみみっちい奴でいいしWebライターになれなくていいから文章書くぞ私は!!いややっぱり仕事にできるなら教えてください!兆しを!希望を!

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