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怪物は異物ではない

他の下書き記事もまだ溜まっている中でも、これだけは今日のうちに書かなくてはならないと思った。坂元裕二脚本、是枝裕和監督「怪物」を観てきた。




※ここからネタバレを盛大に含むので!ご覧になりたくないという方はお気をつけください!!







※もう大丈夫ですか!?ネタバレしゃべりますね!!





「どの人が怪物なんだろう?」と、最初は誰もが思わざるを得なかったと思う。タイトル上、また物語の内容上、"怪物"がどこかにいるに違いないと思わせられる序盤だった。


パンフレットの中で角田光代氏も同様のことに触れていたが、場面ごとに私も、「うわあ、体罰問題にまともに取り合わずに有耶無耶にしようとする教師…怪物じゃん…」「え、でもこんな頻度でこんな感情的に学校に殴り込みに行く母親も怪物…?」「てか体罰ってほんとにあったんだっけ…?子どもが怪物…?」と、怪物探しに頭を悩ませていた。

それと同時に、時折顔を覗かせる"怪物"らしき要素に自分も重ね合わせていた。


観に行く前に原宿さんのこのツイートを見ていた影響もありっちゃありスパーク


自分の中に潜む怪物。

冒頭の火事のシーンから、自分の「他人の不幸を野次馬する精神」を思い、

安藤サクラ演じる早織から、自分の「自分の大切な人が言う言葉、あるいは自分の大切な人にとって都合のいい事実だけを真実とし、それを侵害する者は全て敵とみなす精神」を思い、

永山瑛太演じる保利から、自分の「自らの正しさを信じ、それを解す余地のない者にはこちらからも理解しようとする姿勢を見せない精神」を思い、

黒川想矢演じる早織の息子・湊から、自分の「自らの体裁を守るための嘘をつき、それが取り返しのつかないことになっても引っ込みがつかず、即時に訂正をできない精神」を思った。



最終的に思ったのは、「誰も怪物ではなかった」ということだった。

物語は分けるとすると3部構成で進む。最初は湊の母、早織の視点で。次は湊に体罰を加えていると思われていた、保利の視点で。そして最後は、体罰を与えられているのか、それとも(1部、2部で仄めかされていた)いじめの主犯格になっているのか、そうした疑念の真相を握っている湊の視点で。


それぞれの視点で、それぞれの怪物がいた。

早織からしたら、息子を大切に思った上での自分の訴えに真っ当に向き合わない教師たち。それから、息子のために半狂乱とも言えるような行動を取る自分。自分の知らないところで、知らないことを考えて、理解し難い行動をとる息子・湊。

保利からしたら、同級生、そしていじめの対象であろう依里に対して不可解な行動をとる湊。モンスターペアレントのように詰め寄ってくる、湊の母・早織。自分の正しさを知っているはずなのに離れていく恋人の広菜。学校の体裁を守るために自分を犠牲にせんとする周りの教師。体罰教師として自分を食い物にし、自分のプライベートにズカズカと踏み込んでくる報道陣。言動や行動がその都度変わる生徒たち。社会的に自分が追い込まれていく瞬間を、どこか俯瞰して見ている自分(これは保利本人が怪物だと自覚しているかはわからない)。

湊からしたら、大切な存在である同級生・依里に対して、非人道的とも思える教育を行う依里の父。
そして、何より、自分であるはずなのに自分の知らなかった感情に揺さぶられて、自分の知らなかった行動をとる自分。



これらは、ある視点によっては"怪物"であり、ただ、視点を変えると"怪物"ではなく、"いち人間として至極真っ当な感情を持ち、それに伴う行動を行う存在"であった。


脚本をつとめた坂元裕二氏は、「"視えていない"という視点を出発点とした」ことをパンフレットの中で語っていた。
"視えていない"ものを視た時に感じる、"視えていない"自分が抱いた感情やとった行動の、後ろめたさ。

まさにそうなのだろう、と感じた。

実際に、自分が鑑賞しながら、部が進むにつれて、"視えていない"自分が抱いていた感情を後ろめたく思った。

一側面を見たら、異常。ただ、その行動や感情は、別の視点から見て、つまりは他の側面も"視えている"状態で見ると、正常。

そんなことが、いつの時代にも、どんな場面にも起こりうるのだろうと感じた。


作品を観終えて、1番最初に思ったことは、「湊に対して、『あなたは異物ではない』と伝えたい」ということだった。

誰しも、誰かの人生においては、"怪物"になりうる。それは、人間が感情を有する限り、仕方のないことなのだと思う。ただ、決してそれは"異物"ではない。

誰もが他人から見て異質な部分を持っている。おそらく、等しく、何かしらは、持っていると思う。それを"異物"だと排除し、押し込める必要はない。なぜならそれは誰もが抱えているものだからだ。無論、その形は違えど、だ。


その、誰もが持っている"怪物"の一面を多角的な視点から許容し、生きづらさを寛容に受け止める、「あなたはここにいていいんだよ」と全ての人に奥深くのところで慈愛を向ける、そんなような作品だと強く感じた。


最後に、湊と依里が通う小学校の校長(田中裕子)の言葉に深く感慨を抱き涙したので、ここに記す。

「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。しょうもない、しょうもない。誰にでも手に入るものを、幸せって言うの。」





さて、ここからはより個人的な感情を簡単に述べる。


一旦箸休めに私の料理を見てください、素人が作る鰹の漬けって写真にすると色汚すぎるね



・監督を務めた是枝裕和氏も、脚本を務めた坂元裕二氏も、「日常に潜む違和感ややさしさ」をきめ細やかに掬い上げる、という点で共通点のある表現者のように感じていた。ただ、異なる点も感じていた。

両者の作品をすべて詳らかに鑑賞し、分析したことはないが、なんとなくイメージとして、是枝氏は「日常を細かく掬い上げた上で、あえて言語化や平易な表現をせずに、それを抽象化して伝える」、坂元氏は、「日常を細かく掬い上げた上で、なかなか人々が言語化できない部分を言語化したり、立体的なシーンとして描写したりすることによって、それを具体化して伝える」というような印象を抱いていた。(特に是枝作品はそこまで量を観ていないので解釈が的外れだったらごめんなさい)

その塩梅が完璧な比率で発揮されている作品のように感じた。非現実的な世界で、痛いほどの現実を感じさせる、そんな作品だった。



・保利が気の毒すぎる
保利ってそんなに怪物じゃなくない!?てかめちゃくちゃいい先生で、生徒の葛藤や学校の都合に振り回されながらも、それでも生徒を大切に思って行動できる、めちゃくちゃいい男じゃない!?!?もちろん他の側面から見たら、とくに第一部を見る限りはとんでもね〜〜怪物だと思ったけど、蓋を開けてみたら真・人間じゃない!?!?!?


・中村獅童は普通に怪物
想像するに、妻から出ていかれて、多大なる失念を抱いて、その原因を息子に帰依させることで精神を保っていたのかもしれないが、普通に教育方針が怪物。だと思った。けれどこういった精神状態で育児をする親も少なからず存在するし、彼には彼なりの苦悩があるのだろうとも思った。けれど作中では段違いに怪物だよ〜、、と思った。


・黒川想矢くん…好き…
単純に恋しそうだった。影のある役、ハスキーな声、繊細な表情の演技…好き…


・作中で名前が呼ばれていないキャラクターにもちゃんと名前がある
当たり前のことなのかもしれないが、パンフレットを読んで、「このキャラクターはこんな名前だったのね」と驚いた。作中では細かく触れられなかった人物にも、ちゃんと名前があって、ちゃんと考えや背景があって、ちゃんと人生がある。ここが"視えていない"部分なのだなあと思ったし、"視える"部分が増えたところで、どうしたって"視えていない"部分は無くせないのだなと改めて感じた。



は〜〜とっても素敵な作品だった、、!!観に行ってよかった!

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