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20人の「40歳」との対話 Part5(17人目~20人目)

撮影:荒牧耕司

こんにちは。大宮冬洋(43歳)です。
僕は35歳の7月に再婚をして、東京から愛知に引っ越しました。
このPart5に登場する4人のうち3人は愛知に来てからの友人です。
どちらかというと人懐っこいというか寂しがりな僕は、男性にありがちな「妻子がいれば何もいらない」タイプではまったくありません。
近所に気軽に誘い合える友達がいないと嫌なんです。
愛知に来た当初は、ネイティブ愛知県民である妻の同窓会に同伴させてもらったりして寂しさを紛らわせていました。
大人になってから、保護者仲間でも仕事仲間でもない人たちと親しくなるのは難しいですよね。
あれこれ試して失敗もした結果、今では尊敬できる友人たちやその家族に囲まれて、毎週のように食事を共にできるようになりました。
このnoteを一緒にやっている小林さんもその一人です。
僕は今、「尊敬できる」と書きました。
40歳以降の友情には、お互いに敬意を持てることが重要だと気づきつつあるからです。
若い頃は、いや最近までは、なんとなく都合の合う人とよく会っていました。
もちろん、今でも交流が続いている良き旧友もいますが、全体としては「小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し」だったと思います。
一人でいることが不安だから、尊敬し合えない相手でもとりあえず一緒にいるような関係性です。
いつまでもそれではあまりに成長がありません。
君子の交わりができる素晴らしい相手とだけたまに会い、そうでなければ一人で過ごす時間を充実させたいと今では思っています。

17人目 渡邉さんの話

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「貯金会」のために2か月1回は地元に帰る

 山梨県の忍野村出身です。僕は早生まれなので、昨年(2015年)に地元の同級生たちと厄払いの行事に参加しました。親友が誘ってくれた「貯金会」に入るきっかけになり、今では2か月に1回は地元に帰っています。新宿から高速バスが忍野村まで出ているので、時間もお金もそれほどかかりません。
 貯金会は山梨県では一般的な集まりですよ。「無尽」という場合もあります。同世代の人たちと定期的に会って飲み食いをし、お金を積み立てます。ある程度貯まったらみんなで旅行に行ったりするんです。僕は小中学校から一緒の人たち4人に、婿入りで忍野村に来た1人を加えた貯金会に入りました。大工をしている料理好きの親友がたいてい何か料理を作ってくれて、誰かの実家に集まって飲み食いするのが恒例です。その親友はカレー用のナンまで自分で焼く本格派ですよ。
 僕はコメ農家の長男です。会社を定年したら地元に戻ろうと思っていますが、今までは自分がやりたいことを好き勝手にやって来ました。高校は地元の公立高校で、大学も山梨県内です。卒業した後は、埼玉県の自動車工場で期間工として働いて留学費用を貯めて、イギリスの大学院で航空工学を学びました。
 帰国してから3年半はエンジニアリング派遣の会社で働き、ソフトウェアを使った流体シミュレーションの会社に転職しました。飛行機や車への空気や液体の抵抗などを解析して顧客企業の製品開発に役立てるのが仕事です。僕はモータースポーツが好きで、F1レースに出場する車の開発に関わるのが夢でした。この会社で運良くその仕事に携わることができたので、仕事での夢はすでに果たせたと思っています。
 昨年、より大きな同業他社に転職しました。200人規模の会社で、扱える製品分野が広くなりました。担当業務は変わらずにカスタマーサポートです。何か課題があって、「こうしたらいいのでは?」と解決策を考えて作業して、予想通りに改善したときは仕事の面白さを感じます。
 基本的にはパソコンの前に座って作業をしていて、顧客とは電話やメールでやりとりしています。在宅でもできる仕事ではありますが、「忍野村に住みたいので在宅ワークにしてくれ」と会社に提案する勇気はありません。忍野村にはファナック(工作機械の大手企業)の本社があり、そこで働いている知り合いも少なくありません。でも、僕がやりたい仕事とはちょっと違います。やはり定年までは東京にいることになりそうです。

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