わたしのために割いてくれたその時間がとても尊いんだ。
今年の干支でもある、とらの柄のハンカチを眺めている。
うみ。ちゃん
夫ちゃん
と、ふたりの名前が入ったハンカチ。
これを選んでプレゼントしてくれたのは、わたしの愛する甥っ子です。
出かけた先のお土産屋さんに売っていたというこのハンカチを、わたしたちに買ってくれたこと。
楽しかった日の思い出の一部になれたようでうれしい。
愛しいや恋しいが止まらない時に飲む頓服薬を処方してくれるお医者様はいらっしゃいませんか。
この前撮った自撮りツーショットを眺めて、お胸のきゅんが止まらない。
以前も書いたかもしれないけれど、贈り物というものはわたしに宛てて選んでくれている時間がすでに十分過ぎるほどにプレゼントなのだと思う。
お土産買おう
→何がいいか
→このハンカチどう?
→うんうん、いいね
→沢山あるハンカチの中から名前を探そう
→ひとつずつ包装してください
→喜んでくれるかなわくわく。
って、その姿を想像するだけで…もうだめだ、目から塩分が流れ出す。
以前、数人で集まる女子会に参加した時のこと。
誰かの家にお邪魔する時は、大人として何かしらの手土産を持参する。
そこで数人で集まるとなれば、他の人とかぶらない何か気の利いたものを用意しようと色々思いを巡らせる。
あのこはきっと、スイーツを用意するような気がする、
あのこはお酒かな…食事ものもくるだろうし…みんなで食べる食事はあると言っていたし
などと考えるとそれ以外でバランスを取ろうと必死になる。
差し入れやプレゼントを選ぶ時間は好きなので、腕をぶん回しながら選ぶ。
その時、自分以外のメンバーはそのままお泊まりの予定だったので
朝ご飯にみんなでどうぞ、という意味を込めて流行りのおっきな高級食パン一本と、温めるだけのスープを添えて差し入れた。
みんなが喜んでくれる顔が好きだから。
満を持して!のつもりでした。
みんなで朝に食べてもらったらうれしい。
おっきいしよければ食べきれなかったらわけて持って帰ってよ。
なんて風に渡したと思います。
そしたら、その中の1人が
「うち今パン沢山あるし、あたしはいらない」的なことを言ったのをわたしの耳はしっかりとキャッチしたのだった。
その話、わたしが帰ってからでもよかったのでは。
というかそもそも、差し入れた時点で相手がそれを食べようが捨てようがわたしには関係ないしお礼を催促するようなことではないことはわかっているけど
悩んで選んで、予約までしていた食パンにも申し訳なかった。
誰からも何の感想はこなかったので、どうなったのかなあの日のパンは。
わたしが責任を持って食べてあげられたらよかったのにそれすら出来なかったから食パンにはごめんねと言いたい。
それだけじゃなくて、なんだか色々あって
もう、この集まりには参加しないんだろうなって強く心に決めたのだった。
わたしは、食べ物を頂いた時にはおいしかったという感想を送り主の方へ伝えるようにしている。
自分だったら、そうしてもらった時にとてもうれしいから。
あくまで、これは自分の場合。
人に自分の価値観をおしつけるわけではなくて。
いつだって考えすぎて、空回って何をやってもうまくいかないのがわたし。
この反省を次に活かそう。
喜んだ顔を見せて、という無駄に見返りを求めてしまう癖を2022年どうにかしたい。
惨敗だった差し入れ事件。
ずっと引きずってもやっているので
noteに書いて、読んでくれたあなたがぷふっと笑い飛ばしてくれたらきっと浄化できるんだ。
そんなことがあったなと遠い目をしつつもわたしはまたとら柄のハンカチを眺める。
あの時のわたしと同じように、相手を想い、そして悩み選んでくれたこのハンカチは一生の宝物。
使いたくないほど大切。
冷凍庫に入れたい気持ちをぐっと抑えて
せっかくなので使わせてもらおう。
わたしはうまく行かなかったけれど、伯母的に甥っ子は贈り物の天才かもしれない🎁
なにやってもあかん時は
もういっそ一生寝たろかな。
岡崎体育さんのこの曲が好きです。
ファーストテイクバージョン、めっちゃかっこいいじゃん!と思ったら泣けてきた。
で、最後のキメ顔で笑った!
たぶん、笑わせようとはしてないのに。
もう、ほんと最高。
なにやってもあかんと思った時には、この歌を一緒に歌いましょう。
優しくそっと背中を押していただけたら、歩んできた道がムダじゃなかったことを再確認できます。頂いたサポートは、文字にして大切にnoteの中に綴ってゆきたいと思っております。