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宇多田ヒカルの「だは〜」から、SASUKEの「2019」を思う。

 最近の朝は、SASUKEの『平成終わるってよ』をよく聴いてる。

 もともと、なんとなくこの曲もアーティストも知ってはいたけど、ボクがグッと惹き込まれたのは『J-POPは終わらない』からだった。ジャケ買いのように、MVから曲に入るくせがある自分としては、このMVが気に入っちゃったのがきっかけ。その歩き方が、滋賀の「飛び出し坊や」みたく、えらくひょうきんでインプレッシブだったんすよ。

 さて、『平成終わるってよ』の話へ戻ろう。この曲を聴いてて、びっくりしたのは歌詞の読み方にあった。「ああ、新時代がきてるなァ」と思うほどの衝撃だったし、なんなら何度もその発音をセンター試験のときのようにリスニングしてしまった。

 2019これからを頑張ろう皆んな

 という歌詞があるんだけど、この「2019」の読み方が一度聴いただけでは聴き取りにくい。何度か聴いてるうちにわかったのは、どうやら「ニセンジュウナイン」と読むこと。ちなみに、「2020」は「ニセントゥエンティ」である。

 この日本語と英語を不規則に混ぜちゃう感覚は、すんごく自由すよね。

 ふと思い出したのが、リリーフランキーの『エコラム』のなかにあった「宇多田的発想」の文章だった。

 その内容は、宇多田ヒカルの『First Love』のなかにある以下の歌詞の読み方が不思議というもの。

  誰を思っているんだろう

 これがリリーさんには「誰を思っているんだは〜」と聴こえ、それは「①美しく聴こえさせるため」「②詞の流れから意味は『だろう』と伝わるため」という解釈をすることにした。

 「音にしなくても、そこに気持ちさえ込めれば伝わるのだ」という宇多田的発想が世の中にもっと浸透するといいよね、というまとめで終わるコラムであったと思う。

 さて、SASUKE『平成終わるってよ』の話にまた戻ると、宇多田ヒカルのそれとは歌詞の遊び方が微妙に違うのだけど、「こう読まないといけない」というルールに囚われずに、「こっちのほうが曲的にいいじゃん、面白いじゃん」という型破りな発想でつくられたであろうノリが俄然いい。

 そっちのほうが音楽を字のごとく楽しんでるようにも思うしなあ。

 この曲の主題にあるように、平成が終わり、令和が始まり、ほんと日本の音楽業界に新時代がきたって感じがする(といっても、ど素人の遠吠えなんだけど)。

 たしか宇多田ヒカルのデビューが15歳だっと思うけど、ほぼ同年代くらいにデビューし、現在16歳のSASUKEがどう变化していくのかは気になる。宇多田ヒカルに対して『今も昔も変わらずいいよなぁ」とうっとりしてしまう気持ちを持ってるように、将来同じように感じるアーティストになっているんだは〜。

  ってことで、『平成終わるってよ』はこちらです。


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