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個人の先にローカルがあるわけで、ローカルの先に個人があるわけじゃない。

「これよくわからないタイトルだよなぁ」

と自分で思いつつ、その説明をするようなかたちで書き進めてみようかと。

 「ローカルで〇〇をする」とか「ローカルとの関わり方を考える」みたいな文脈のイベントってめちゃくちゃあると思うんすよね。

 過去、そういう場に足を運んでいた時期があったのだけど、その「ローカルで何かしたい」あるいは「ローカルとの関係性」を考えている人の多くは、もはや「ローカル」が大目的になっており、そこから諸先輩の実践からハウツーを学んでいく流れを掴みたい人たちのようにぼくには感じた。

 つまり、それってなんかズレてないかなぁ、と思って。

 たとえば、「地元に戻りたい」とか「〇〇県に通えるつながりをつくりたくて」とか地域もある程度具体的だったらわかるけど、「ローカル」というと掴みどころのない、ふわふわとしたものを掴みにいこうとするその姿は滑稽にも見える。

 というか、「ローカル」ってことでいえば、そんなんは東京のような都会にもあるわけで(言ってしまえば、ニューヨークのような都市でもローカルなのであって)、どこにいたとしてもローカルには関わりを持つことができるし、実践も何かしらできる。

 ようは、足元のローカルには目を向けず、どこにあるのかわからない、見えたとしても蜃気楼のようなローカルを求めているのは、もう変態の領域だよなぁと。

 じゃあ、ローカルに"正しく"関わっている人ってなんだろうか、といえば、そこに関わるのが”いたしかたがない”人たちのように思う。

 ローカルへの意識なんてあまり持っておらず、自分や家族がどういうことをやりたいか、あるいはやりたくないのかを考えた結果、暮らす場所、働く場所を選び、たまたまその地で生きていたら「ローカル」にぶつかっただけの話である。

 都内にいるときにDIYのようなものづくりにハマった人がいた。その人なりに突き詰めていくと、作業環境や材料調達の点において、東京にいるよりも、その材料が素早く安くとれる場所にいたほうが、効率も自身の満足度も上がると思い、その結果、いろいろ探したり、知人を伝ったり、イベントに足を運んだ結果、林業の盛んな町に移り住むことになった。

 とまあ、これは一例のような人の話。

 2016年の累計で少し古いが、この分類でいえば、「こだわりモノづくり志向」といえるかもしれない。

 やっぱり、何か他に目的があって、そのためのフィールドがどこのローカルか、という話でしかないはずなのだ。

 唯一、上記累計のなかに「地域(社会)貢献志向」というのがある。

社会や地域の問題に積極的に取り組み、自分の知識・経験・能力を社会に還元することを自分の役割と考えているタイプ。

 これが最初にふれた「ローカル」を目的にしてる人に近いような気もするが、地域貢献したいと動いている人は、やはり地元だったり自分が住んでいる地域の暮らしやすさを上げるために、あるいは、自分の課題解決能力を試せるフィールドを、という具体性があるので、”蜃気楼的ローカル”を追うのとは毛色が違うはずである。

 そういう話も含めて、タイトルの話。

個人の先にローカルがあるわけで、ローカルの先に個人があるわけじゃない。

 つまり、自分ごと(暮らし方・働き方・仕事)を追った先に、ローカルに辿りつくのが自然なかたちで、結果論よね、ということ。だから、無理に「ローカル」を意識しなくてもいいんじゃないか。「まちづくり」などと同様に、あいまいな「ローカル」という言葉に自分の行動を支配されなくてもいいんじゃないの。そんな提案です。

 で、ひさしぶりにタイトルをつけるようなイベントチックな会をやることにして、「ローカル」という言葉をかなり散りばめてしまってはいるけど、その中身は「ローカル」のことというよりは、「自分ごとをどう展開していくとおもしろくなるか」「どういう仕組があるとそれを展開しやすくなるか」というのが実際の軸なんじゃないかと思う。

 だから、ローカルに興味ない、モヤモヤを抱えてたり、暮らし方などを模索してる自分自身に関心がある人ほど意味ある場になるような気も。何よりぼくが20半ばまでローカルなんて興味なかったし、むしろ毛嫌いしてたくらいだから、その感覚はわりと強いかも。

 まあ、この座談会は今日だし、告知って感じでもなく、やる前に、自分のなかでローカルの位置づけを整理しとかんといけないなぁと思ったので、とりえあず書きなぐってみた、という感じすかね。

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