見出し画像

日記が一年続いたら読み返したい日記

日記についての振り返り日記をつけてみよう。

今のところ、約1ヵ月半ほど、ほぼ日で日記をつけることができている。ブログ歴でいえば、9年目くらいになるのだけど、今まで「定期更新する」というのがずっと苦手で、守れて「月1本」とか「週1本」とかくらいだった(もちろん仕事の「書く」とはべつに)。

毎日書けたほうがいいのはわかっていたにもかかわらず、それができていなかったのは、なぜか。おそらく、気合を入れすぎていたからだろう。書こう書こうという前のめりな気持ちが、緊張をつくり、勝手に「○○なことを書かなくちゃいけない」というルールを定めて、自分の書きづらさをつくっていた。

で、「書けない自分はダメだ」と超勝手な自己否定に入っていくもんだから、超こじらせていたと認めざるをえない。「どこを改善するか」の目の付け所がよくなかったし、視野が狭かったのは言うまでもない。

今ほぼ日で書けていてあらためて思うのは、ただ「続けること」を目的をするなら、”ゆるく書く”ほうが絶対いいことを実感してる。し、気が抜けていたのほうが、気張っているがために書けないことも書けるので、むしろ、そっちのほういい。自分のなかで「これはやっちゃいけない」を手放して、「これはダメだ」というやり方を採用してみるのは意外にいいことに気づけた瞬間だ。

あと本音で言えば、「毎日書く」と目標を掲げたいところだけど、それをするとへたれなぼくはプレッシャーのために書けなさそうなので、ぼくは「ほぼ日」としている。

とはいえ、実際のところは「30日30本」を意識していて、書けない日があれば、別日でまとめて書けばいいようにしてはいる。実質それが毎日日記をつけていることにはなるから、今のところ、ぼくはそれでいい。だって、できなかったことができるようになっているのだから、少しは成長できているわけだし(とにかく、自分を褒めるポイントを探しまくるw)。

さっき、”ゆるく書く”と記したけど、ゆるく書くときは、基本的には何を書くかさえも考えずに書きはじめてしまう。目的がないままに書き出し、なんとなく書いている途中で「これが今日の結論なのかな」と見定めて、締めるようにする。

ただそれ以外にも、「あ、これについて書きたいかも」という少しだけテーマを持って書くときもある。そのときは、若干構成とかも意識なんかしてみたりして。

ハイテンションを逆手にとったサンシャイン池崎から、芸人の”職能”を学びとる

「大山崎 COFFEE ROASTERS」に勝手に行って、勝手に感じて、勝手に学んだこと。

他人のラベリングにひれ伏さないよう。

これらの日記は、わりとその意識のなかで書いたものだったりした。一つ言えるのは、こういう書き方は、”まだ”ぼくの段階だと毎日続けていくのはしんどさがあるってこと。

そのしんどさってのは、時間に影響していて、ゆるく書くものは20分もかからないのに対して、テーマ書きは1時間くらいかかってしまう。

「今はそれが自分のレベル」とちょい傷つきながらも、書き続けることでしか、書くことはうまくならないと思うので、とにかく意識だけは持って、巧くはなっていきたいよなぁ。

ぼくのなかでは、どんなに時間をかけても「30分で1本」をルーティンにしたいので、その書き方を毎日するには練習が必要みたい。だから、今は”ゆる書き”と”テーマ書き”を組み合わせながらやっている。

自分のなかで、テーマ書きはちょっとした「カッコつけ」みたいなものがあって、どうしても「きれいに書こう」という意識が頭にこびりついたまま書いていくことになるので、ある意味、自意識とかエゴを抱えたライティングになってしまう。

で、思うのは、今後の日記についてはゆる書きをメインにしようかと思っている。

ゆる書きでサッと書いて、もしテーマ書きしたいものがあればべつに書いてみる。今後、有料noteマガジンを検討していたり、ひさしぶりに無料メルマガも再開するので、そっちに振り分けたほうがいいのではないかとも思って。

まあ、なんにせよ、ほぼ日で書けているのは昔の自分からすれば褒められることなので褒めつつも、次は「毎日」とか「質を上げる」とかそういったこともできたらいい。とはいえ、それも続けながら自然と身についていくものなので、とにかく続けることから。

何年か前に沖縄で、津田大介さんと飲ませてもらったときをふと思い出す。インタビューについての話になって、「絶対的量が圧倒的質を生む」みたいなニュアンスのことを津田さんが言っていて、それはほんとそうだわーとつくづく思う。

やるか、やらないか。やるなら、楽に、楽しく。できない自分を責めるくらいなら、ルール、環境づくりを疑ったほうがいい。さてさて、まずは「ほぼ日で一年間書く」を続けたいよねぇ。その頃、どうなってるんでしょ。その振り返りのための日記だな、こりゃあ。

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。