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田舎って不便だからいいんじゃないの

最近になって、ついにAmazonプライムに加入した。去年は、プライム加入していた同居人に甘えながら、『東京女子図鑑』や『笑ゥせぇるすまん』『仮面ライダーアマゾンズ』を堪能していたのだけど、今月からは堂々とあぐらを掻いて観れるわけだ。

プライム加入したきっかけは、ビデオのため、というよりも、Amazonショッピングが増えた、というのが大きい。ぼくは鳥取大山町という、いわゆる、田舎と呼ばれるようなところに住んでいるのだけど、近くにスーパーもさほど多くはなく、品ぞろえも充実しているわけでもない。

隣町の米子に出てしまえば、イオンモールなど大型ストアがあるので、確かに便利なのだけど、出不精のぼくからすれば、オンライン通販ってのは、かなり使い勝手がいい。もちろん、Amazonにかぎらず、LOHACOを活用していたり、最近では全国各地のパン(冷凍保存効くので長持ちするし)を取り寄せて、利きパンを楽しんでいたりもする。

実は、まとめ買いするなら、オンラインのほうが便利ということもあるのだ。という意味では、入手するということだけに力点を置けば、(配達の時差はあるものの)都会と田舎の差は明らかに縮まってきている。足りないのは、劇場やライブに行くだの、バーのようにしっとり飲める場所だの、そういう文化的なことが多いように思う。

とはいえ、そういうものが「ない」からこそ、自分たちでアーティストを地域に呼び込んだりして、自分たちの遊びを自分たちの手でつくるという、生産的な遊びをしている大人が田舎には多いのも事実だ。海士町が謳う、ダブルミーニングでの「ないものはない」を心得ていて、消費者精神で「○○(のサービス)がない!」と喚くような人は、こういうところの生活がそもそもあっていないのだなぁと思わされる。

お金を出せば自分が何もしなくてもいろんなことをサービスを受けられるという点では、都会の一つの良さだし、だからこそ、ニッチで多様なビジネスモデルも生まれている。だけど、その考えを、わざわざ田舎に持ってくる必要はないし、そういうのが嫌なら都会にいておけばいいはずだ。この消費者精神を持ちながらも、田舎の「ない」に不平を垂れてしまう身勝手なジレンマが、「田舎に引っ越したいと思ってるんだけどねぇ、、」という気持ちがあるが行動に移せない人を生み出している原因なのだろう。

(「移住」という言葉を扱うときに考慮してみたい)フロンティア精神があるからこそ、「ない」ことを楽しめるし、もしかしたら、イノベーションってのが生まれる可能性があるじゃないだろうか。

以前、外資系企業に勤めていて、シリコンバレーに視察に行ってきた知人が口にしていたことが印象的だった。

「アメリカは、もちろん都市部もあるけど、基本的には、一つの家と家が遠くて、田舎みたいなところで当たり前で、言っちゃあ、不便、不便すぎる国。だけど、不便だからこそテクノロジーを使って便利にしようぜ、っていうノリがあって、新しい市場が生まれやすいみたいで」

その話をしたのが、表参道アップル前のビル内にある定食屋さんだったんだけど、ひょいと街を眺めつつ、「東京って、便利すぎて、イノベーションって起きにくいのかもしれないですね」と。ぼくは頷いた。「ない」をおもしろがれる人でないと、新しい仕組みなんて作れないとつねづね思っていたからだ。

そういう意味では、今は便利な都会よりも、田舎のほうが不便で”スキマ”が多いわけなので、断然新たなことにチャレンジできる可能性はグッとあがる。これは、自分自身が田舎に住んでいての実感もあるし、仕事柄、地域で動いている人を取材させてもらうことが多かったらこそに余計に感じることだ。

だけれども、まあ、別に「イノベーション起こしてやろう」「地方をテクノロジーで盛り上げてやろう」という元気はさほど必要はなく、さっき例に挙げたように「自分たちの遊びを自分たちの手でつくる」という、ただただ自分たちの暮らしの満足度を上げるための動きで俄然構わないし、そっちのほうが自然だ。よーく眺めてみると、意識することなく革新的なことをしているおっちゃんたちは意外と多いのだ。

「なかったから、つくった。ほしかったから、つくった。買うよりも、自分でつくったほうが、よりいいのがつくれると思ったから、つくった」

で、つくってみたら、自分たち以外の人にも共有できるものになった。そういうノリで、ぼくも今いる場所にバーという文化を成り立たせれたらなぁとあらためて思ったわけです。井川遥のような都会的な美女が来るなんてこと、まずないだろうけど(泣)。

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