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オールナイトニッポー0729

水木しげるにちなんで、水・木(曜日)はお休みにしてます。そして、休(み)はQ(uestion)について考えたい日でもあります。

休みの日でもなんとなく予定はあるわけで。とはいえ、午前の会議をすっぽかしてしまい、午後の会議はどっぷりやって、定期でやってくる偏頭痛を察知して夕寝し、起きたらもう日が変わる寸前だった。そんな日。

そのなかで、ひさびさに文章について考えていた。「読みやすい文章とは」「これまでに意識したことってなんだったったけ」みたいなことを。

mixi日記を経て、ブログへ。そっから、他人を意識して(かつお金が発生するかたちで)文章を書き始めたのがもう8年前のことになる。最初の1~2年目で自分の文章の拙さを指摘され、自覚し、「どうしたもんかいな」といろんなライター・編集者のことばから学びを得ようとしていた時期があった。

そこでの気づきは、やはり「設計図」をつくることが大事で、書く前の準備こそが重要だということ(取材記事とかであれば、リサーチなども含め)。

それは、メディア等で情報性のある記事を書くときだけでなく、情緒が滲むエッセイ・コラムにも応用できることを知ったのが自分の中では大きく、その練習を「暮しと妖怪の手帖」でやっていたのをふと思い出した。

箇条書きでいいから、どんな構成にするか、ポンポンと必要な要素を書き出していく。その各要素がどうやったらつながるか文脈を考え、必要情報があれば調べ、話を整理していく。そうやってゆるめであっても作られた設計図に合わせてスタートを切れるので、書く作業自体は迷わない・悩まない(一度書き切ったあたのリライトで超悩む...)。

なんかそういう”ちょっとしたこと”の積み重ねでしかないのかもしれない。

ネット社会で、「書き方」なんてのはいくらでも検索で出てくるし、ライティングのための名著もたくさんある。情報はいくらでもある。が、その先人の知恵を、実践のなかで積み重ね、鍛錬する人はどれだけいるのか。

”ちょっとしたこと”を”ちゃんと”続ける。

最近それを痛烈に感じるので、初心に戻って、気を引き締めて、また「書く」という行為、「文章」という造形に向き合っていきたい。もう寝たい。おやすみなさい。

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