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技量よりも熱量、魂を正しくぶつけた漫才に、我(日常)に返る。

M-1グランプリ2022の視聴を終え、風呂をためてから入浴剤を浴槽にぶち込み、その間、反省会を観ながら待って、あったまった浴室へゴー。湯に浸かりながら、ウエストランドの最終決勝ネタを見返す。

ふり返ってみると、10組中10番目のトリとなりネタを披露。テレビを通じて察する笑いだと最終決勝はちょっと怪しいかもと思ってしまった。劇場に足を運ぶような人でなく、”きれいな”笑いを求める層が観客席にいたんじゃないかと感じたから。ただその予想をいい意味で裏切って、審査員の評価が乗っかり、男性ブランコを抜いて最終決勝へ。そして、1番手としてネタができたのも効いたのかもしれない。勢いそのままに、というのもあるし、何より審査員たちが評価した(=笑いにくいけど、笑ってもいい)という免罪符的なものが乗っかったのか、2本目の笑いの量はグッと変わった気がした。まあ、ただただそういう気づきが一つあっただけなんですけどね。

大会を通じて、小さく反省し直したのは、これに尽きる。”技量”でなく”熱量”が最後の最後には勝つんだなあ、という実感。

剛「自分の魂じゃないのよね、言葉が。自分が言いたいことではないのよね。なんか借りてきて喋ってる感じがするから

魂がどう乗っかってるのか。漫才、いやそれだけじゃなく、表現ないし、仕事ってのがそもそもそれじゃん、と。ぶつかり合う、ぶつけたいものを正しくぶつけられてるのか。小手先でいこうとしてないか(そんなつまらないことばかり気にしてないか)。今、自分の立ちふる舞いと、魂の居場所を意識せざるない時間になりました。

ウエストランド、おめでとう、M-1グランプリ、ありがとう、な時間でした。ほんとに。また来年!


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