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芸人は言いたいことを漫才で言えてるのか

THE MANZAI に出演してたウーマンラッシュアワーの漫才をみた。スタンダップさながらにマイクを抱え、油断すると追いつけないくらいの早口でしゃべり続ける村本の姿は、ソウルフルだった。

「観る者を揺さぶってくるこのかんじ、一体どこから来てるんだろう?」

ふと気になったんだけど、その手掛かりになりそうなことを一つ思い出した。それは「中川家のオールナイトニッポン」で中川家の二人のやり取りにあった。

「自分の魂じゃないのよね、言葉が」

先日のM-1を終えて、ラジオ冒頭から兄・剛が弟・礼二に「M-1どうやった?」と聞き出し、決勝に上がった3組(ジャルジャル、和牛、霜降り明星)についての話をはじめる。

その中で、剛が見解を述べる場面があった。

剛「ジャルジャルってYouTube観てる感覚やな。ほんで、和牛はお芝居観てる感じ。唯一、霜降り明星が漫才って感じやったから」

霜降り明星が漫才.....その説明として、.剛は次のような視点で掘り下げていく。

剛「霜降り明星だけやねんな、自分の心の中から喋ってるのが
礼二「あぁなるほどね」
剛「和牛はつくってるのよね、ジャルジャルはもっとつくってるやんか」
礼二「まぁね」
剛「自分の魂じゃないのよね、言葉が。自分が言いたいことではないのよね。なんか借りてきて喋ってる感じがするから
礼二「基本、俺らもそうやけど、これどうしても言うときたいとか、聴いてくれ、とかあるわけやんか。だから、そっからネタをつくっていくわけやん」
剛「だから、自分が言ってるって伝わるやん。言いたいこと...これのあれの悪口言いたいとか、漫才に乗せていうわけやから」
礼二「(中略:霜降り明星のM-1のときの○○という言葉はきっと言いたいことやったやろうな的な)
剛「(そう、霜降り明星は)自分が思うてる、言いたいことを乗せてわけやから。心の叫びや、ちゃんとした。ただ和牛とジャルジャルは、心の叫びじゃないのかなぁ。

そう、「言いたいことを言えてるか」が二人の中で漫才を漫才たらしめてることなんだろう。霜降り明星の漫才には、ある意味、本音があった(ように見えた)のが評価ポイントだったのだと。

審査員のサンドイッチマン富澤が「人間味が...」とコメントしていたのも、もしかしたらこの部分なのかもしれない(あ、宮下草薙の漫才も、そのネガティブさに嘘がない感じがいいのかも!)

言いたいことを言えてる人は揺さぶってくる

さて、この話があって、先ほどのウーマンラッシュアワーの漫才を振り返ると、まさに村本が言いたいことを言えてる漫才だったのではないか。

そこに嘘がなく(なさそうで)、漫才という一つの表現にうまく乗っけて、言いたいことを言いにくい世の中で言いたいことを言えてる彼の姿にしびれてしまったのだ。おそらくぼくは。

彼が言ってることが正しいとか間違ってるとかそういう尺度でなく、力強く言い切れてるところにうつくしさを覚えてしまうくらい、こいつはロックだ!と思えるほど(ロックとは何かをよく知らないけど)。

いろんな”キャラを”演じるのがコントで、(素の)”キャラで”いろんな話題をしゃべるのが漫才みたいなところが一部あると思うんだけど、ぼくがコントよりも漫才が好きなのも、その”心の底からの”言葉に魅かれるからなんだと思う。

とはいえ、コントも好きだし、和牛やジャルジャルのような漫才も好きなので、人によって違うはずのおもしろさに優劣をつけるつもりもなければ、「~なものが漫才だ」と評論しようって気もさらさらない。

とにもかくも、自分の意志を自分が選んだ表現(あるいは仕事)で伝えている、その姿はどんなかたちであっても心打たれるし、自分もそうなりたい、叱咤激励されちまった、という話なだけ。

noteタイトルを「POISON~言いたいことも言えないこんな漫才は~」にしようと思ったけど、ちょっとスベりそうだからやめました。

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