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”閉じた”メディアだからできること。

ほぼ日日記の2ヵ月目が終えようとしている。

ぼくの場合、「毎日1本」でなく「30日30本」という、自分のなまけ心を考慮した数値設定になっているわけだけど、それもどうにかクリアできそう。

そして、昨日は1年半ぶりに再開したメルマガの配信を終えた。あまり文字数は気にしてなかったが、7000字超くらいになった。「編集」しようという気がない、書いたまんまの「無修正」な文章なので、かなりずさんだった気もするが、書いてて気持ちよかったのは事実。だし、たのしかった。

メルマガを書くのは、Facebookやnote(の日記)で書くときと意識が明らかに違う。その大きな違いは、情報をわざわざ取りに来てくれている人がいるということ。投稿されればタイムラインに流れてくる”受動”の情報と違って、メールアドレス登録の手間をとって自分から取りに行く”能動”の情報である。

ぼく自身、受動の情報は「あ、知らなかった」というセレンディピティを感じる部分があって好きだけど、結局のところ、濃度の高い情報を求めようとすると、自分から情報を探しにいっていることが多い。だからこそ、その”取りにきてもらえる情報”としての枠組みをつくるためのメルマガというのはありだ。

そうやって手間をかけて情報を取りに来てくれた人に対しては、「ああ、わざわざ遠路はるばるようこそ」という気持ちが自然と生まれ、しっかりとおもてなししたくなる。だからこそ、情報開示の仕方にも変化が出てくる。

一つは、情報濃度を上げようとテーマをちゃんと選ぼうとすること。もう一つは、(濃度を上げるというシビアさとは逆かもしれないが)よりプライベートなことをゆるく吐き出せること。どちらにせよ、書く意識が変わっていく。

あと、メルマガのメリットとしては、読み手が確認できるということだ。情報の受け手って、その半数以上が読んでいても反応をしてくれない。ぼく自身も記事をクリックして読んではいるけど、いいねを押すことなく沈黙したままのときは多い。

ただ、それがメルマガ登録してもらうことによって、「だれが自分の情報を欲してくれているのか」が可視化できるのがいい。匿名で特定できずとも、ちょっとしたコミュニケーションができる可能性もあるので、ヒアリングすることでさらにコンテンツを磨くことができる。

この話は、「メルマガ=有料note」と考えても同じことが言える気がしてて、barbossa林さんがnoteを有料化した理由とか、アニさんが先日書いていたnoteの話は参考になるよなぁ。

情報は(その入口を)広げるだけでなく、閉じることで見えてくるものがある。もちろん、その閉じ方の調整を間違うと痛い目に合いそうだけど、自分のコンテンツを「つまらない」と思う人よりは「おもしろい」と思ってくれる人のところに届けたほうがいいし、それがだれなのか察知できるのは決してわるいことじゃない。

特にぼくの場合、場づくり(宿、バー、住み開き)をしてるからこそ、近づけるための情報発信と、遠ざけるための情報発信の二つのあんばいは繊細に考えていきたいところでもある(ちなみに、移住サイト/イベントとかローカルメディアのほとんどは、この引き寄せと遠ざけが噛み合っていないものが多いように感じる...)。

グダグダ書いたが、まあなんにせよ、”閉じて”みるのはおもしろいよ、ということで、これから再開したメルマガを育てていきたいし、有料noteをはじめていきたい。試せることがたくさんあるから、日々の生活は飽きないよなぁ。

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