駄菓子屋を潰すような、サイレントリーダーから脱してぇ。

 ”silent leader”ではなく”silent reader”のほう。

 読者としてどれだけリアクションをするかっていう話なんですが。

 そもそも接客業なんてのをやってると、リアクションされることなく無言で去っていくお客さんに出会うことなんて死ぬほどある。何も言わないけど満足している人もいれば、逆に静かに怒り狂っている人もいたりする。直接、お店ないしスタッフに感想を述べてくれる人なんてごく僅かなわけで。

 なんとなく関連記事としてこいつを挙げておくか。

 それと似たような話で、サイレントリーダー(無言の読者)もたくさんいるわけで......というか、自分なんかはまさにそうだと思う。

 たとえばFacebookにおいて、結構いろんな人の投稿を読んだりはしてるけど、リアクションすることが少ない。いいねボタンをポチることもそう多くないし、コメントするなんて稀中の稀。べつに勿体ぶってるとかでもなく、リアクションすることに厚かましさを感じてしまう(という自意識過剰っぷりがある)から、「めっちゃ良い!」と思っても「ヤだなぁ」と思っても無言で立ち去ることばかりである。ただ重ね重ね言うと、むっちゃ観てはいるんすよ! もはや監視かっていうくらい!!笑

 noteとも無言でいろんな人の投稿を大量に読ませてもらっている。「いいなーこの感性」と刺激を受けるような投稿もたくさんあって、そういうコミュニティの中にいるから、なんとなく自分も書くか、という気分になれてるのは少なからずあると思う。

 ......などということを書いててふと思ったけど、これって「近所の駄菓子屋が潰れてしまう」流れに乗っかってしまってるのかもなぁ。駄菓子好きだし、いいね、お店ずっと続けていってね、と思ってるくせに、そのお店でまったく買い物しない。そのせいで、結局、お店の売り上げが立たず廃業せざるえない、みたいな感じで。

 これをnoteにあてはめてみると、いいね、更新楽しみにしてるからずっと続けてくれ、と思ってるくせに、イイネやコメントあるいはサポートを一つもせず、ファンとしての好意を見せずにいる行為なんじゃないのか。「べつに誰かに読んでもらいたいから書いてるわけじゃない」っていう人も少なからずいるだろうけど、リアクションあるから書き甲斐があると感じる人もいるだろう。となると、その思いを何かしらの形で示すことも一つの応援なのではないか。

 そう考えると、サイレントリーダーであった自分は、なんかちょっと申し訳ないことをしてたんじゃないか......。愚痴や悪口を進んでやることに意味は感じないが、良い!とか好き!とか思ったんだったら、その感情はなるべく表示したほうがいい。その前向きなベクトルの反応が、投稿者をエンパワーすることってあるかもしれないから。

 そんなちょっとしたことで、面白いもの、揺れるもの、問いがあるものetc.に出会える確率が上がるなら、包み隠さずに出せるものを惜しみなく出しちまったほうがいい。と、深く反省した今宵...。

  言い方気持ちわりぃけど、みんな、観てるよ! 読んでるよ! 今度からちゃんとリアクションするよ! てな具合で、とりあえずこれまでの愚行は許しておくれ。


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