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悪いときは、良いときの残像で。

 オンにしたくてもオフのまま。一昨日あたりにスイッチがオフになり、それからオンになる気配を感じられないまま、三日目を迎えた。

 とはいえ、べつに憂鬱なわけでもなく、「周期的なものがやってきた」の一言で済むくらいのもんである。動かないときには、動かそうとしないほうがいい。無理に動かそうとして結果動かないときの落胆が大きいから。

「うまくいかなくて当然」という姿勢に気持ちも(生存戦略的なのか)移ろっていき、自分を高く見積もり過ぎていたことが、これまでの問題を引き起こす原因だとも気づいた。

 注意しておきたいのは、調子が良くないときの立ち振る舞いにある。やらなくてもいいことをやる必要はないが、やらなくちゃいけない目の前のことを不調に揺さぶられたままだと、感情優位に言動しがちなので危険が伴う。

 このときふと思い浮かんでくる映像は、あまり球がきてないときに、どうやってピッチャーとしてマウンドに立つか。打たれて点をやることもあるだろう。けど、それは許すとして、チームが勝つために不調の中でのどう最善を尽くせるか。最悪なのは、独り相撲になってしまい、フォアボールの連続で押し出で点を取られ、さらには自己嫌悪に陥るという自滅SHOW。

 そう、コンディションがいつも良いわけではない。というか、良くないときのほうが多いし、良いときを見積もりながら(期待値を上げて)動いてしまうと、半作用が起こったときのダメージも大きい。

 その見積もりのせいで身を崩してしまい、自分のことだけならまだしも、周りにまで悪影響があるのはよろしくない。ぐじゅぐじゅになった心のせいで、普段ならとらない態度をとり、言わないことを言ってしまう怖ろしさ(それはそれで「人間だもの」)。

 そんなとき、少し立ち止まって、自問自答したいことがある。

「調子が良いときなら、何て答えてるっけ? どうやってリアクションしてたっけ?」

 調子が良ければ、些細なミスや言葉の粗さも気にならないし、だいたいのことは許せてなかったっけ? 相手の非より、相手に投げかけた自分の言動の非から振り返らなかったっけ? と。

 文中の言葉を借りれば、”心の穴を飼い慣らし”ながら、で、調子が悪いときだからこそ、感情という悪魔に揺さぶられないよう、良いときの残像をひねり出し、そいつを指針に立ち振る舞うことなんだろう。

 一番しんどそうな、ここを乗り越えれば、あとはだだ上がりしていくタイミングを待つだけ。今をそう捉えて、オンにならないスイッチはオフのままに、立ち止まる時間だからこその準備を粛々と進めておくとする。


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