おじさんと青春ノイローゼと、老いと知恵と。
20代後半は、ずっと取り憑かれていた。
今振り返ってみると、そうだったとしか思えない。
それは「青春ノイローゼ」という単語を覚えたからだ。これは「マイブーム」などでも知られる、みうらじゅんの造語。
いい大人が、10代から20代前半に経験した燃えるような青春時代を忘れられずにいる症状、のこと。
青春時代の"あの頃"を思い出しては、その過去に執着して、現在も引きずったまま、モヤモヤをした気持ちを抱える。そんな意味だとボクは解釈して、自身がそうじゃないかと疑うようになった。
「ああ、そうか、過去の栄光にすがる、というのはこれなのか」
と心臓がチクチク痛んだ。ぶっちゃっけ「栄光」とまでは言えるような偉業もない"あの頃"の自分の姿勢・熱量を必要以上に懐かしみながら、かつての感覚を取り戻そうと汗をかいていた20代後半の自分って一体なんだったんだろう、と心にぽっこりと穴も空いたような、空虚すら感じた。
面識のあるないに限らず、いろんなおじさんたちを眺めるなかで、「昔にしがみつきだ」とか「もう今は時代は違うんだぞ」、「適応しないと、くたばるぞ」なんてことを冷ややかに思っていたが、ブーメランように自分のもとに返ってきた。刺さった。
自分では自分が迫真の演技ができてると思っていたのに、じつはそんなことはなく、監督から首を横に振られ、他の大根役者と同じだよ、と冷ややかに指摘されたような気分だった。
もう、受け入れるしかないのだ。老いは必ずくるわけで、その歳に対してそれ相応の立ち振舞いがきっとある。若々しく張りと色つやのある肉体も、ほとばしる英気に満ちた精神も、今はない。ないのだ。
だらけた体と心でできる、身の程に合った、自分の扱い方を探せばいい。というか、探していかなくちゃ、心が落ち着かないし、やるべきことにも手がつかなくなる。
どうも「知恵」ってのは、こういうときに必要になってくるらしい。老いを知恵でカバーすることで、心身のバランスを取って、日々を営んでいく。簡単なようで難しい。けどそこに、矮小だけれど、生きる感触があるのだ思える。
みうらじゅんはさらに興味深いことを言っていて、「青春がノイローゼの原因」で、「ノイローゼになろうとすることは努力」で、「ノイローゼが癖になるといい」とのこと。ここらへんは、またどこかで触れてみたい。
とりあえず、見つめるべきは、老いて、ボロボロになってゆく自分の体と心なのだ。ないものはない、ないからじゃあどうすんの、という問いを、つよく刻んでおくように。
以上、30才のボクからの報告でした!
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