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ラジオ体操のように。

書くことが思い浮かばないときには、だれかのなにかの作品に触れて、自分のなかに思考の渦を起きるように刺激を与えてみる。それから、どう感じたかをワ~っと出そうとすりゃあ、自然と指も動きはじめてくれる。

気持ちにピシャリとはまる言葉を考えるのではなく、吐き出すように。吐き出したあとに整理して、きれいに繕っていけばいい。noteは吐き出すための場所であって、吐き出されたものがきれいでなくてよい。

だって、言っちゃなんだけど、これは汚物と同じなのだから。頭の排泄物。他人にとっても、自分であっても、ばっちぃものでしかない。だけども、それを溜め込んでおくと、自身によくないのは確かだ。

体の仕組みに則り、物理的なことは各器官がうまい具合にやってくれてるけど、頭がうまく回るようになるためのサイクルは、体内だけには頼れないようで、その解決法が体外で「表現する」ということなのかもしれない。

そう考えると、結局のところ、書くということは、ぼくにとっては健康づくりでしかない。やらねば、頭が、精神がだるくなる、そこにつられて身体が重くなる。

50歳を超える母が、いつの間にか、早朝に起き、ラジオ体操をするようになっていた。「体を動かしてほぐしとかないと、体がしんどい」だそうだ。なるほど、ぼくの場合、それと同じように、「書いて頭をほぐしとかないと、暮らしがしんどい」があるようだ

「ラジオ体操第一~~~~!」の掛け声があるように、「書かないとつらくなるわよ~~~~!(なぜかオカマ口調)」で、頭を整えていきたい。てのと、朝のほうが空っぽの心で書きやすいから、時間と動作を合わせていきたいなあ。ルーティン大事。とにかく、ラジオ体操のように。


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