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まじめを手放すテンミニッツ

ちょっと前にやっていていつの間にか取り組むことすら忘れていた「10分で書く」をまたやり直す。この書き方のポイントしてあるのは、「立ち止まらない」こと。何を書くかを考え込む時間をもつくらいなら、その分、手を動かす。それは理性で脳から指へ命令するものでもなく、本能的にそのときそのときに脳内で浮遊してるものを虫取り網で捕まえる作業であり、捕まえて文字にしてあげることで供養させてあげる慈しみでもある。

今自分が書いてるものに対して「単語の使い方が間違っていやしないか」や「ちょっとニュアンスが違う気がするからもっといい言葉はないかな」などで精査するのは、10分後にその軌跡を辿ればいいだけの話で、編集者的な自分はぶっ飛ばして、とにかく先へ先へとキーボードを叩き続けばいいのだ。止まらない。止まったときすぐに再始動できるエンジンを備えてればいいのだけど、そんなことは一切なく、一度立ち止まったら「一休み一休み」と悠長なことを言っては眠りこけるような野郎だということを忘れてはならない。

そう、たぶんそれは性質の問題もある。考えすぎる・頭でっかちなタイプの人間というのは、何もしなくても「まじめに考え」てしまう傾向がある。まずはじっくりと考えさせてくれ、と猶予を求める。これが自分を苦しめ、しんどさを呼び込み、挙句の果てには、その張り詰めた緊張感から自身のパフォーマンスをも落とす。それじゃあ本末転倒なわけで、小さくゆるく軽快に動きながら、その運動の中で見えるもの触れるもの感じることをそのまじめの脳みそで観察分析内省していけばいい。

人によって思考と行動のバランスの取り方は違うのだけど、これくらいが今の自分にはちょうどいい。考える暇があれば、とにかく動かす・動く・動かなければいけない状況に自分の身を放り投げる。そういったライブセッションのような時間があって、追い込まれて余裕がなくアップアップしてる時のほうが“見える”ことが多いんだよな実際。

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