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会議室から現場までに潜むバグ

「その点はどの点に向かって延びていこうとしてるのか」

ときどき、ふと頭をよぎる問いである。

今、目の前のことに必死になるのは尊いのだけど、それはちょっとした未来のどこに標準を合わせての動きなのか、座標とまで言わなくても方向性くらい狙いは考えておきたい。ガチガチすぎる計画、狡さにまみれた戦略にはアレルギー反応が起こるけど、やっぱりどんなに小さくともターゲットは必要だ。

もちろん、それは物事に依るのだけど、地域のあれこれについて考えるときは尚更で、所謂”打ち上げ花火”のように瞬間的に賑やかになっただけでは変わらないものは数えきれない程あり、多くは経験からそれを解ってるはずなのに、一つの点だけを見つめ、次の点がどこにあるかすらを忘れがちのように思う。

その活動の根幹となるヴィジョン、コンセプトを適切につくる人が足りていない。少なくともぼくが見聞きし、関わってきた地域はそう感じてしまった。逆に、そういう人材がいる地域には未来を感じられた。

その未来には不安を覚えるものもあって、たとえ、どんなに素晴らしいヴィジョン、コンセプトがあったとしても(ハード)、地域の色に合わせてどう合わせて実装していくかは別の話である(ソフト)。

ごくごく当たり前のことを言うようだけど、会議室から現場までを貫いて動かせる人いなければ、その描かれた設計図は、ちゃんと意識と想いを持って動いてる人にとっての障壁になりうる。(上が)一度固めすぎちゃったがために(下が)動かしにくい。

自治体が抱える課題感の一つとして、そういった川上の会議室と、川下の現場の両方のロジックとエモーションを掬い上げ、一貫しつつもバランスとりながらアイデアを形づくるまでの経路ないし座組にバグがあることが挙げられるだろう。

......という流れで、「プロジェクトマネジメント」っていう話にもなってくるわけだけど、そいつについてもおいおい書き出してみたい。

昨日の「なぜ油断させないのか?②」の続きは、【「困った」も「やりたい」もそうそう出ない】という見出しを考えてみた。が、プロジェクトマネジメントの話も含め、おいおい記録できればと思う。必ずや。

なんせこの「#ローカルの周辺あるいは辺境」は30分も時間を取ってない、出たとこ勝負のnoteとなっているわけで、可能な範囲のペースの中で進め、無理はしないがモットーなんです。

約一ヵ月近く更新し、さいごの一本を書き上げるという”点”のことを思えば、毎日の点の打ち込みもそれなりに弛みがないとそこまで届かないのです。そんなマッチョじゃないのです。残念ながら。

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